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郷土を知り、郷土を愛する「志木市 歴史さんぽ」-執筆・協力 志木のまち案内人の会-

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埼玉県志木市

■第42回 実蔵院
この寺の正式名称は蓮華山無量寿寺実蔵院(れんげざんむりょうじゅじじつぞういん)といいます。言い伝えによれば、行者(ぎょうじゃ)澄平が沼で投網をした際、網にかかった銅製の阿弥陀如来像を本尊として、元和3年(1617)に草庵(そうあん)が創建されました。その後、草庵はしばらくの間、無住となりましたが、沙門(しゃもん)宥啓が明暦3年(1657)に再興しました。
実蔵院を大きくしたのは第3世の伝英で、中興の開山とされています。また、宝暦12年(1762)に柏町にある真言宗智山派宝幢寺の末寺となり、現在に至っています。
境内には、住職の伝英や慶雅、武士の土肥小十郎、医師の抜井元徳の筆子塚があり、江戸時代に寺などで読み・書きを学んでいたことが分かる資料となっています。
志木市域には、学校制度が施行される明治7年(1874)までに29名の師匠がいた記録もあり、実蔵院は宗岡学校の校舎にもなりました。
実蔵院の参道脇には「従是南西北尾張殿鷹場」と刻まれた石杭もあります。この石杭は寛永10年(1633)、江戸5里四方の幕府鷹場の外側に徳川御三家の鷹場として下賜(かし)された、御鷹場の周りに埋めたもの(御定杭)で、この地域が御鷹場だったことを伝えています。鷹狩は一時期廃止したものの幕末まで続き、文政4年(1821)の記録には、宗岡村が属した入間郡や新座郡、多摩郡の189か村にわたる広大な地域の鷹場境界に建てられた、鷹場の歴史を表す石杭です。
実蔵院の本堂前には、白い羅漢さま(2体の石造物)が墓参りの人々を暖かく迎えるとともに、造作の美しいお地蔵さんもおりますので、優しい心の醸成と安定を求める散策に訪れてみませんか。
※参考文献:「志木市史通史編」

所在地:中宗岡1-15-61

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