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郷土を知り、郷土を愛する「志木市 歴史さんぽ」-執筆・協力 志木のまち案内人の会-

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埼玉県志木市

■第44回 東明寺(とうみょうじ)の庚申(こうしん)供養地蔵(志木市指定民俗文化財)
東明寺は本町1丁目、以前の志木市字中野の地内にあり、「阿弥陀山安養院(あみださんあんよういん)東明寺」と号し、新義真言宗智山派(ちざんは)の寺院で、無住のまま、地王山地蔵院宝幢(どう)寺の所有になっています。ご本尊は阿弥陀如来です。
この寺の境内、本堂右に、志木市指定民俗文化財「東明寺の庚申供養地蔵」があります。寛文7年(1667)2月造立の庚申信仰に基づく庚申と地蔵が習合する石造仏で、光背に「庚申供養也武州新倉郡蟇俣(ひきまた)村」と刻まれています。この庚申供養地蔵の脇に立つ市教育委員会の説明にあるとおり、この庚申供養地蔵は「蟇俣」の字が使われている市内唯一の石造物であり、史料的価値の高いものです。新河岸川に柳瀬川が注ぎ込む引又地区は、二つの川が合流する地点付近の蛇行が顕著で、まるでヒキガエルが這いつくばっているように見えたのでヒキマタの地名になり、引又村(現在の本町地区付近)に蟇俣の字が使われたともいわれています。江戸時代、一般的には「引又」を用い、「引俣」「引股」も使われていたようですが、公用では「蟇俣」「蟇股」が使われていたようです。
天正4年(1576)新座(にいくら)郡舘(たて)村から三上弾左衛門(みかみだんざえもん)が息子二人とともに新河岸川と柳瀬川の合流地点へ新田開発に入って以後、引又村は農業の村から商業の町へと変わっていき、さらにその後、脇往還(わきおうかん)奥州街道の宿場、新河岸川舟運の河岸場、そして引又市の市場として大いに発展しました。
当寺には、旧引又地区の発展に寄与した古くからの商家の墓地が多いようです。

□東明寺の庚申供養地蔵
所在地:本町1丁目
国際興業バス「富士道入口」下車徒歩3分

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