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郷土を知り、郷土を愛する「志木市 歴史さんぽ」-執筆・協力 志木のまち案内人の会-

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埼玉県志木市

■第48回 明治43年の大洪水
明治43年(1910)8月2日から降りはじめた雨が9日には豪雨となり、10日まで続いたそうです。11日には小降りになったものの、荒川・新河岸川・柳瀬川の水かさは刻一刻と増え、12日未明、ついに川越で荒川が破堤(はてい)。続いて南畑(現富士見市)のびん沼堤防が決壊し、洪水流が宗岡になだれ込んできました。江戸期以降では五大洪水の一つとされる明治43年の大洪水です。
荒川と新河岸川にはさまれた宗岡地区では、村全体を惣囲堤(そうがこいづつみ)で囲み、さらに避難用の水塚(みづか)を設け、舟を備えるなど、日頃から洪水への備えは怠りありませんでした。
しかし、今回はそれまでの常識を超える水量とスピードでの増水でした。戸外でブクブクと音がするので、慌てて水塚に逃げようとしたときには、すでに膝まで水がきていたそうです。利根川も氾濫し、宗岡全域を含む埼玉県内の平野部全域と東京下町も水没。関東平野全域に甚大な被害をもたらしました。
この大洪水がきっかけとなって、洪水流をいち早く海に流すため、蛇行していた川をまっすぐにし、隅田川に合流していた荒川を今の荒川がある場所に新しく作るなど、政府は大規模な洪水対策に着手しました。
当時の宗岡地区の洪水位は標高8.195m。その水位表示板が宗岡小学校(中宗岡3-1-1)脇に、また宗岡浄水場(中宗岡1-17-12)の壁面には洪水の水位と堤防の高さが表示されています。
線状降水帯やゲリラ豪雨などが各地で頻発する昨今、洪水への備えを忘れないためにも、ぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

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