文字サイズ
自治体の皆さまへ

郷土を知り、郷土を愛する「志木市 歴史さんぽ」-執筆・協力 志木のまち案内人の会-

27/35

埼玉県志木市

■第53回 国登録有形文化財 朝日屋原薬局
朝日屋は、明治20年頃に初代原林吉(はらりんきち)が朝霞市浜崎から移り住み創業し基盤を作り、明治45年に現在の位置に主屋を新築しました。
店舗の看板と大黒柱は欅(けやき)材、そのほかの大部分は黒松材が使われています。店の前面の鴨居は節が全く無い見事な黒松材です。創業以来新しい化学製品を取り扱い、絵具染料を主力にそのほかの化成品のほか、ビール・ガラスなどの雑貨を手広く販売しました。店先のガラス戸は、その頃のガラスといわれています。主に日本橋で取引し、仕入れた物品は浅草花川戸から志木河岸まで新河岸川の舟運によって運搬され、店頭小売りのほか、所沢・飯能・石神井方面に販売されました。
二代目原林三(りんぞう)は、薬剤師の資格を得て、家庭薬の製造や医師向けの医薬品の販売を行いました。
三代目原昭二(しょうじ)は、薬学を学び薬剤師となって家業を継ぎ、向学心に燃えて東京大学薬学部で薬化学の研究に励み、東京薬科大学教授になり教育と研究に従事しました。その成果を国内外の学会で発表し、平成5年には紫綬(しじゅ)褒章を受章しました。家業の傍ら、NPO「市民フォーラム」を立ち上げ、「市民プレス」などを精力的に発行しました。
敷地内には屋敷神として東雲不動尊が祀(まつ)られてきましたが、当初の不動明王像は現在宝幢寺に祀られています。朝日屋の前の野火止用水端に明治44年建立の道路標識が建っていましたが、野火止用水が暗渠化(あんきょか)された時に敷島神社境内に移され、複製が原氏個人により作られて朝日屋の店先に立てられています。
朝日屋の場所には、幕末の頃引又宿の名主役だった星野家がありました。弘化4年(1847)8月から3年間ほど名主だった星野半右衛門(ほしのはんえもん)は「星野半右衛門日記」を残し、それには幕末頃の引又地区や江戸の様子が詳述されており、大変貴重なものとして志木市指定文化財になっています。
朝日屋は、平成15年に建物(主屋・離れ・物置・洋館など)が国登録有形文化財になりました。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU