■「言葉の壁」で困っている人たちを救いたい
株式会社・一心 代表取締役 上條 真理子(かみじょう まりこ)さん(市内在住)
中国で生まれ、17歳のときに日本で生活を送ることになった上條さん。日本に来て一番驚いたことは、刺身や肉を「生」で食べる食文化だったという。
毎日全力で働く上條さんの好きな休日の過ごし方は、自宅でコーヒーを飲みながらゆっくりとした時間を過ごすこと。
「国籍に関係なく、みんなが笑顔でいられる居場所をつくりたい」そう語ってくれたのは、中国残留孤児※の父をもつ、上條真理子(かみじょうまりこ)さんだ。
生まれは中国の山東省。近所の友だちと木や屋根などに登って遊ぶのが大好きなわんぱくな少女だった。
ある日、父・充彦(みつひこ)さんから「親戚が遊びにくる」と聞き、当時小学1年生の上條さんは初めて会う親族にワクワクしていたが、そこに現れたのは日本人だった。
戸惑いながらも、そこで初めて父が日本人で、自分が日本国籍だということを知った。
充彦さんは7歳から中国で生活を送ることになった。つい日本語を話してしまうと、その度に周りから嫌がらせを受けていたため、覚えた日本語を必死に忘れようと頑張っていたと、充彦さんから聞いていたという。
大人になってからも、仕事の都合上、もし日本人ということが周りに知られてしまうと密偵扱いされ、家族と離れて生活することになってしまう。「いつか家族全員で日本で暮らすんだ」という一心で、50年間、日本人であることを必死に隠し続けた。そしてついに、充彦さんは家族で日本へ永住帰国することとなった。
しかし、上條さんにとって日本での生活は辛いものだった。
上條さんが日本に来たのは17歳のとき。高校に通うも、「言葉の壁」に悩まされ、毎日が苦痛だった。
それから数年後、上條さんにも家族ができた。子どもが少しでも上手に日本語を話せればと、上條さん自身も必死に日本語を勉強し、日本語能力検定1級を取得。その力を活かすため、所沢市役所で週2回、通訳として今も働いている。
日本での生活も徐々に慣れてきた頃、充彦さんは高齢のため、デイサービスの利用を始める。しかし、充彦さんはここでも「言葉の壁」によって辛い思いをしてしまう。
話を聞いた上條さんは「戦争に巻き込まれ、頑張って日本語を忘れた父がなぜ日本語が喋れないことで苦しまなきゃいけないのか。父だけじゃなく、言葉の壁で困っている人たちの力になりたい」と強く思ったという。
それからは懸命に働き、資金を集め、令和元年度に通所介護施設「一笑苑(いっしょうえん)」を設立。「人生、笑っていればいい縁(苑)がやってくる」という意味を込めて、「一笑苑」になったそうだ。
今、日本には中国残留邦人が対象の生活・宿泊できる施設はないという。上條さんは、「全国で初となる中国残留邦人が生活・宿泊できる大型施設を建てて、言葉の壁に悩んでいる人たちを助けたい」と、笑顔で語ってくれた。(取材:関)
※戦後、日本へ帰国する手段を失い中国で生活を送ることとなった人たち。13歳未満は中国残留孤児と呼ぶ。
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