広報ひだかでは「ひだか歴史名勝ナビ」から一推しの「地域ミユージアム物語」を抜粋して紹介していきます。ナビを見ながら歴史健幸ウオークをしてみてはいかがでしょうか。
■地域ミュージアム物語第8編「高麗の宿を歩く」
▽野々宮神社奉納相撲場
野々宮神社には相撲場が残っています。天保元(1830)年の相撲興業や、子ども相撲も開催されていたなど多くの記録が残っています。
日高と相撲の関わりは古く、奈良時代、高麗郡出身の高麗福信は相撲が強かったと続日本紀(しょくにほんぎ)に記されています。江戸時代には栗坪出身の士大鳴門浦衛門(おおなるとうらえもん)が、文政元(1818)年に栗坪勝音寺で勧進相撲を開催しています。
▽比留間先生寿碑
甲源一刀流比留間半蔵の顕彰碑で、比留間道場の跡地にあります。「比留間先生寿碑」の文字は山岡鉄舟の筆で記されています。幕末のころ、当地域は一ツ橋家領であったため、道場には渋沢栄一も訪ねて来ています。
▽庚申塔(こうしんとう)
体内にいる虫と考えられていた「三尸(さんし)」が、閻魔(えんま)様に日頃の罪状を報告しないよう寝ずに過ごすことを「庚申待ち」と呼びます。宝暦13(1763)年、これを成就した記念に建てられました。青面金剛(しょうめんこんごう)、三猿が彫られています。
▽高麗陣屋と高麗町
慶長2(1597)年、高麗本郷にあった陣屋が火災に遭い、栗坪、梅原村の諏訪神社周辺へ移り高麗町と呼ばれるようになりました。天和、貞享のころの記録では、宿場で売られていたものは、農家で必要な縄むしろ、茶、炭、紙、筆墨、きせる、草履、麻切れ、木綿切れ、豆腐、油、茶わんなどの日用品でした。ろうそく、げた、割り箸、ござ、奈良漬、美濃紙などは川越まで買いに行きました。
問い合わせ:生涯学習課文化財担当
【電話】042-985-0290
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