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歴史散歩 〔第351回〕

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埼玉県毛呂山町

■ぐるっと臥龍山(がりゅうざん)散歩 その(2) ~由緒(ゆいしょ)ある建築物探訪~
臥龍山に登ると出雲伊波比(いずもいわい)神社の境内(けいだい)が広がり、拝殿(はいでん)、奥に本殿、その右手に旧八幡社(はちまんしゃ)が立っています。江戸時代後期に作られた「毛呂郷大絵図(もろごうおおえず)」には、「飛来(ひらい)大明神」、「八幡社」という二社が並んで描かれており、本殿はかつて「飛来大明神」と称していました。
現在の本殿は、戦国時代の大永(だいえい)8年(1528)、前年火災で焼失した社殿を毛呂郷の領主・毛呂顕繁(もろあきしげ)が施主となって再建したものです。当時の毛呂郷周辺は、後北条氏が北武蔵に進出しようと、扇谷(おうぎがやつ)・山内(やまのうち)の両上杉氏と激しく争っていた時期で、毛呂郷はその最前線にありました。情勢不安のなか、領民の人心をまとめるために、いち早く本殿の再建を進めたのでしょう。
出雲伊波比神社の修理の履歴には、鎌倉幕府を開いた源頼朝、坂東(ばんどう)武者の鑑(かがみ)と言われた畠山重忠(はたけやましげただ)、江戸時代に入ると三代将軍の徳川家光などが名を連ねて、武士の崇敬(すうけい)を集めていたことが伺えます。
本殿は、中世の神社建築の様式を伝える貴重な建造物として、昭和13年に国宝に指定され、その後文化財保護法の制定により、昭和25年に重要文化財に指定替えとなりました。
昭和32年から33年にかけ本殿の解体修理が行われましたが、2年後に伊勢湾台風に見舞われました。当時、臥龍山の多くの木々や御神木(ごしんぼく)がなぎ倒された惨状のなか、本殿は被害を受けることなく流麗(りゅうれい)な姿を見せていました。
埼玉県内で国宝・重要文化財の指定を受けている建造物は28件あります。そのなかで、最も古い神社建築が出雲伊波比神社本殿です。
建物の特徴を見ると、正面側面ともに二本の太い柱間に板扉(いたとびら)・板壁(いたかべ)が一つあります。屋根の形は、前方に流れるようにカーブを作りながらせり出し、逆に後方は極端に短い流造(ながれづくり)になっています。柱間一つの流造なので一間社流造(いっけんしゃながれづくり)と呼んでいます。
地上から棟(むね)の上端まで約8・7メートル、軒の広さ約47平方メートルで、全国に数多くある一間社流造の建築物のなかでも屈指の規模を誇ります。正面の軒下向拝(のきしたこうはい)の蟇股(かえるまた)は虎の意匠(いしょう)で、木鼻(きばな)には獅子が象(かたど)られています。
臥龍山に鎮座する本殿は、中世らしい素朴で力強い佇(たたず)まいのなかに、江戸時代に採用された精緻(せいち)な表現が見られる優れた文化財です。

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