■渋沢栄一とお札(さつ)の歴史
現在、市役所本庁舎1階多目的ホールでは、日本銀行から寄贈された『AA000006AA』番の1万円札と、福岡市の男性から寄贈された『AH000001DG』番の1万円札、国立印刷局から寄贈された渋沢栄一の肖像のコンテ画を展示しており、併せて『渋沢栄一とお札』という映像を見ることができます。
今回は『渋沢栄一とお札』の映像でも紹介している、渋沢栄一とお札の歴史について紹介します。
日本で最初のお札は1600年ごろ、伊勢山田地方(現三重県)にいた商人が発行した『山田羽書(やまだはがき)』と呼ばれる証書であると言われています。当初は商人たちがおつりで銀貨を使用する代わりに、紙に書いて使い始め、しだいに通貨として広まりました。
それからおよそ240年後の1840年、渋沢栄一は誕生します。
栄一がお札と深く関わるのは、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)に仕えていた時です。一橋家の財政の立て直しを任された栄一は、一橋領の播磨国(はりまのくに)の特産品である木綿に目をつけます。地域で使える藩札(はんさつ)(木綿預手形(あずかりてがた))を発行し、その藩札で購入した領内の木綿を大阪で販売して正金(しょうきん)に換えるという方法で、お金を集めることに成功したのです。
…と、このコーナーではここまで。渋沢栄一とお札の歴史について、さらに詳しく知りたいかたや、まだ若い記番号のお札を見ていないというかたは、市役所本庁舎1階多目的ホールにぜひお立ち寄りください。
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