■津田梅子(つだうめこ)の生涯
新五千円札の肖像となるのは津田梅子です。江戸の牛込南御徒町、現在の新宿区南町に生まれた津田梅子は、北海道開拓使が募集した女子留学生のひとりとして、1871年に岩倉(いわくら)遣外使節団とともに渡米し、アメリカにて初等・中等教育を受け成長しました。渡米時の年齢は6歳で、1882年、17歳で帰国しました。
帰国後、国費で留学したのにもかかわらず、重要な仕事を与えられないだけでなく、日本社会における女性のあり方そのものにも落胆しました。当時の日本社会は女性に教養を求めておらず、女性自身も地位を向上させようとは思っていなかったようです。
母国の女性のために力を尽くしたいという強い使命感と、向上心を持っていた津田梅子は、より高度で専門的な教育を受けるために、アメリカへの再留学を決意しました。
留学時に書いた論文は、イギリスの学術誌に収録され、『女性も質の高い教育を受け、学ぶ機会を得られれば、才能を伸ばし、男性と対等な実力を身に付けられる』ということを津田梅子自身が証明しました。
その後、ほかの日本女性たちが高等教育を受ける機会を得られるよう、『日本婦人米国奨学金制度』、『女子英学塾(現在の津田塾大学)』をつくり、『日本女性の真の自立』のために力を尽くしました。
津田梅子は、女性活躍の面で日本の近代化をリードし、長い時を経た現在でも女子高等教育の先駆者として名を残しています
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