■〈渋沢栄一ゆかりの〉深谷市長小島進 × 〈津田梅子ゆかりの〉津田塾大学学長 髙橋裕子・〈北里柴三郎ゆかりの〉学校法人北里研究所理事長 浅利靖
渋沢栄一と共に新紙幣の肖像となった、津田梅子、北里柴三郎にゆかりのある団体の代表2人と小島市長が、同時代を生きた偉人たちについて語りました。
鼎談は栄一の喜寿(きじゅ)(77歳)を祝って東京都世田谷区に建設され、平成11年に深谷市へ移築された国指定重要文化財『誠之堂(せいしどう)』で行われました。
◆1万円札の肖像
日本の近代化に貢献
渋沢栄一(しぶさわえいいち)
1840(天保11)年~1931(昭和6)年
深谷市血洗島出身。明治・大正期の実業家。農家に生まれる。江戸時代末期、一橋家に仕え、1867(慶応3)年パリ万国博覧会に出席する徳川昭武(とくがわあきたけ)に随行し、欧州の産業、制度を見聞。1869(明治2)年新政府に出仕し、1872(明治5)年に大蔵大丞(おおくらだいじょう)となるが翌年退官し実業界に入る。第一国立銀行の総監役、頭取となったほか、多くの企業の創立と発展に尽力した。『論語』を徳育の規範とし『道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)』を唱える。実業界引退後も、福祉事業や国際親善に力を注いだ。
◆5千円札の肖像
女性の教育機会の創出に貢献
津田梅子(つだうめこ)
1864(元治1)年~1929(昭和4)年
東京都新宿区南町出身。教育者。父は旧佐倉藩士で後に農学者となった津田仙(つだせん)。1871(明治4)年に日本最初の女子留学生の一人として、満6歳で渡米。約11年にわたり先進的な教育を受け、17歳で帰国。華族女学校教授などを務め、1889(明治22)年に再び米国に留学しブリンマー大学の生物学選科生となる。帰国後、1900(明治33)年に女子英学塾(後の津田塾大学)を創立。個性を重んじたリベラルアーツ教育を提供し、女子高等教育の先駆者となった。
◆千円札の肖像
科学の発展に貢献
北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)
1853(嘉永5)年~1931(昭和6)年
熊本県阿蘇(あそ)郡小国町(おぐにまち)出身。細菌学者。熊本医学校、東京大学医学部を卒業後、内務省衛生局に勤務。ドイツに留学し、1886(明治19)年から細菌学者のコッホに師事、1889(明治22)年に世界初の破傷風菌(はしょうふうきん)純粋培養に成功した。1891(明治24)年に医学博士となり、1892(明治25)年に帰国後は伝染病研究所長を務めた。研究所の文部省移管に反対して辞職後、1914(大正3)年に北里研究所を創立しその後は慶應義塾大学部医学科創設にも尽力した。
○津田塾大学 髙橋裕子(たかはしゆうこ)学長
○学校法人北里研究所 浅利靖(あさりやすし)理事長
○深谷市長 小島進(こじますすむ)
◆発行日に日本銀行で受け取った新紙幣
小島市長:今日は、深谷までお越しいただき本当に嬉しく思います。お二人にお会いするのは、新紙幣が発行された(令和6年)7月3日に、日本銀行で行われた若い記番号の新紙幣の贈呈式以来ですね。あのときはどんな思いでしたか。
髙橋学長:私は、ちょうど発行されるときに学長であったという巡り合わせに、まずは大きな感謝の気持ちがございました。贈呈式の集合写真を見ると、女性は私だけでした。日本の組織の代表に女性がいないという状況は、津田梅子や渋沢翁が目指していた世界ではありません。まだまだ日本は変わっていかなくてはならないと、強く思いました。
浅利理事長:本物のきれいなお札(さつ)(千円札)をいただいて、非常に気持ちが高ぶりました。その後、北里先生の墓前(ぼぜん)に報告して、研究所に持って帰ると、みんなが喜びました。『千円札が我々にとっては1万円の価値がある』という気持ちになりました。
◆新紙幣発行の盛り上がりを一過性にしない
小島市長:深谷市は、平成31年4月に財務省が新紙幣発行を発表する前から、子どもたちの教育に渋沢栄一翁の生き方にふれる『こころざし読本』という副読本を作るなど、栄一翁を顕彰してきました。また、新紙幣の発行当日に福澤諭吉(ふくざわゆきち)先生の故郷である大分県中津(なかつ)市長と『一万円札引継式』を行うなど、新紙幣が縁で栄一翁とゆかりのある自治体や団体と連携し、さまざまな取り組みを行ってきました。お二人の大学、研究所も同様だと思いますが、紙幣の肖像として大注目を浴びた中で今後に向けてお考えになっていることはありますか。
髙橋学長:津田塾大学では、津田梅子が自分の後継者、次世代の女性リーダーを育成することを考えていたので、その精神を学生たちに学んでもらうため、『津田梅子と建学の精神』という科目を大学の共通科目として開講しています。また、本学は、令和7年に創立125周年を迎えます。125年の大学史を出版し、津田梅子の精神を受け継いだ女性たちが、そのバトンをつないでいった歴史があることを、伝えたいと思っています。
浅利理事長:実は、旧千円札の肖像、野口英世(のぐちひでよ)は北里先生の弟子で、福澤諭吉先生は恩師だったんですね。今回、弟子とバトンタッチしたので、これを機会に、ただお札で顔を見たというだけでなく、北里先生という人はどのような人なのか、特に本学の学生にその精神を引き継がせたいですね。例えば、開拓の精神や不撓不屈(ふとうふくつ)の精神。これは学生にとっては社会に出て生きていく上で、壁に当たったときに、思い出すだけで頑張れるものだと思います。
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