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青淵遺薫(せいえんいくん) 栄一のちょっと小話

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埼玉県深谷市

新コーナー『青淵遺薫』では、思わず『へぇーそうなん』と深谷弁で驚いてしまうような、新1万円札の肖像となった渋沢栄一に関する小話を紹介します。

■渋沢栄一の趣味
渋沢栄一には、近代日本経済の父と呼ばれる数々の功績の傍(かたわ)ら、余暇(よか)を彩る趣味がありました。
それは、字を書くこと、書道です。書は、栄一が12~13歳の頃から父の市郎右衛門(いちろうえもん)に習い、その後、18歳まで伯父の渋沢宗助(そうすけ)に学び、「栄(えい)さんはなかなか上手い、俺の跡が継げるよ」と褒められるまでに上達します。実業家になり、揮毫(きごう)(毛筆で文字を書くこと)を求められることも多くなりますが、栄一にとって書とは、あくまで邪念を取り払い、心を無にして打ち込める最良の趣味だったようです。
ほかにも、漢詩の創作や、落語、歌舞伎、義太夫(ぎだゆう)や浄瑠璃の鑑賞にも親しみ、落語家の三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう)、歌舞伎役者の市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)や尾上菊五郎(おのえきくごろう)などを好んでいました。
また、若い頃には、将棋や囲碁も楽しみました。特に将棋は、大隈重信(おおくましげのぶ)の邸宅で、腕に自信のある福澤諭吉(ふくざわゆきち)と勝負してみたら、栄一が勝ってしまうほど強かったといいます。新旧1万円札の肖像の2人が将棋を指す仲でもあったとは不思議なご縁です。後に、仕事の時間つぶしをしてはいけないとやめてしまいますが、将棋や囲碁が好きだったと自ら振り返っています。
このことから、旧渋沢邸『中の家(なかんち)』が、第74期『王将戦』第5局(3月8日(土)・9日(日))の会場に選ばれ、藤井聡太(ふじいそうた)王将と永瀬拓矢(ながせたくや)九段の対局が予定されています。これも栄一の趣味からつながるすてきなご縁といえます。

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