■「恩返し」をプレーに込めて
吉澤 太一(よしざわ たいち)さん
セブンズ日本代表
レッドハリケーンズ大阪(ジャパンラグビーリーグワンディビジョン2)
(奈良中学校出身)
◆怖さもふっとぶラグビーの魅力
中学2年生の時、ラグビー部がある奈良中への転校がきっかけでラグビーを始めました。初めは、体がぶつかり合う鈍い音に怖さもありましたが、「チーム全員でボールをつないで点を取る」部分に魅力を感じ、次第にはまっていきました。ぶつかり合う音も、集中していると案外聞こえないものです。(笑)
◆「けが」で気づいたラグビーへの気持ち
その後、正智深谷高校、立正大学と、それぞれラグビー部から声をかけていただき進学しました。それまではとにかく目の前の練習や試合に一生懸命で、ラグビー選手を「将来の夢」として意識していたわけではありませんでした。
それが変わったのは大学2年生の終わりの頃。気付かないうちに右手首の骨が欠け、完治までの半年間、ラグビーができなくなってしまいました。
それから「もっとラグビーをしたい」という思いが溢あふれ、自分の中でラグビーの存在がこんなにも大きくなっていたことに気付かされた期間でした。そこから「ラグビー選手」を「将来の夢」として意識し、より一層練習に励むようになりました。
◆自分の「弱み」は「強み」に変えられる
私は、ラグビー選手としては恵まれた体格ではありません。タックルされるとどうしても力負けすることもあります。
その弱みをカバーするためにも、相手の攻撃にすぐに反応できるよう練習を重ねました。今ではそれが誰にも負けない自分の強みだと自信を持って言えます。
7人制ラグビーの日本代表として選んでいただいたのも、そういった点を評価していただいたのかなと思っています。
◆「恩返し」の気持ちで臨んだ決勝戦
パリ五輪出場をかけたアジア予選決勝は、ラグビー人生で1、2を争うほどの緊張感でした。それでも、ラグビーの原点である熊谷で関わった方々、以前所属していたチームメンバーやスタッフ、ファンの方々、そして今のチームのみんなに支えられてここまで来たので、恩返しをしたい。そんな気持ちで決勝に臨みました。
それだけに、五輪出場を決めた時は、みんなに恩返しができたうれしさがこみ上げました。
今後、パリ五輪メンバーに選出され、更なる恩返しができるよう、まずは現在行われている国内のリーグワンで自分の強みを生かして戦っていきたいと思っています。
熊谷出身の選手として、熊谷の子どもたちに夢を与えられるような選手になるよう頑張ります。
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