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シリーズ白岡遺産5『白岡遺産ストーリー4』

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埼玉県白岡市

■水の災いを恵に換える暮らしの知恵

大山地区は、柴山沼を中心に元荒川や星川の形成した後背湿地に立地し、下流を埋没ロームで閉ざされているため排水が悪く、湛水に苦しめられてきました。しかし、知恵を絞って災いを恩恵に換えながら暮らしてきた土地柄でもあります。
柴山、荒井新田地区には、水防用の「水塚」が多く残されています。県東部地域は水塚の多い地域ですが、多くは利根川や中川などの流域にあります。しかし、柴山沼周辺の水塚は沼の内水氾濫に備えたものとみられ、沼に近いほど高く、遠ざかると低くなる傾向を示します。
柴山沼や皿沼周辺には「ホッツケ」と呼ばれる「掘上田(ほりあげだ)」が発達していました。浅い湿地の沼底に溝を掘り、掘り上げた泥を盛り上げて田畑を作る耕作法です。掘り潰れの水路は集落内まで引き込み、舟による沼との往復や作物の運搬などに使いました。水害時にはこの舟が避難や物資の輸送に使われたりしたといいます。現在も軒下に舟を下げてある家々が多数あります。
掘り潰れの水路では、農閑期には、魚とりや釣などが盛んに行われ、レクリエーションでもあるとともに、小魚などの貴重なタンパク源確保の機会にもなっていたようです。
特産の梨栽培が盛んになった理由も、地下水位が高いことを逆手に取って、排水と潅水のバランスを上手に管理することで、みずみずしい梨の生産につなげることに成功したためということができます。
また、近世から近代に見沼代用水を使った舟運で栄えた土地でもあります。野通川と元荒川との合流点に近い橋戸地区は、見沼通船の終点平野河岸から陸上交通への積替え拠点として栄えました。規模の大きな集落ではありませんが、かつては、多くの商店が軒を連ね町場が形成されたといいます。河川の合流点や柴山伏越のような水路の交差地点は、水害に見舞われることも少なくなかったと思われますが、これを河川交通の要衝に換えることに成功したと見ることができます。石造りの蔵屋敷や野通川に架かる鉄橋、水制工などが、河川を制し繁栄した当時の様子を今に伝えています。

主な関連文化財:柴山伏越、見沼代用水、元荒川、星川、柴山伏越改造之碑、野通川の水制工、柴山沼(大沼)、皿沼、沼落堀、水塚群、三十六間樋管、栢間堀川、橋戸集落の建造物、井澤弥惣兵衛分骨墓、旧大山民俗資料館(大山小学校旧校舎の一部)、柴山諏訪八幡神社奉納絵馬、(市指定)、堤土置争論裁許状、入会沼争論絵図、梨生産用具、内水面漁撈具、掘上田耕作用具、フネ、川魚料理

問合せ:生涯学習課文化財保護担当
内線522

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