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今昔写真で見る町の移り変わり 丹荘・青柳・渡瀬 編

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埼玉県神川町

今私たちが日常で見ている風景も、やがては新たな風景へと生まれ変わっていきます。日々の変化を記録し、後世へ伝えていく手段として「写真」があります。写真は、地域の歴史や暮らしを知るうえでとても貴重な資料であり、撮影された時代を生きた人々にとっては、懐かしい人や風景を思い起こさせる大切な宝物ともなります。
今月号の特集は、丹荘・青柳・渡瀬地区内で撮影された写真から町の移り変わりを見ていきます。
まず初めに、表紙となっている役場の写真を見てみましょう。左の写真は昭和47年(1972)に撮影された神川村役場です。この当時の役場庁舎は現在の場所ではなく、総合福祉センターの場所にありました。この庁舎は神川村となる前の丹荘村役場※の庁舎を活用していました。この3年後の昭和50年(1975)に現在の植竹地内へ移転し、平成31年(2019)に新庁舎が完成しました。

※丹荘村役場の建設時期は不明です。町に残る村役場資料は昭和7年(1932)のものが最も古いものとなります。丹荘村の誕生が明治22年で、そこから撮影時の43年間のどこかで建設されたと考えられます。

◆古い写真はとても重要
家の中に眠っている古い写真の中には、貴重な情報が詰まっていることがあります。今では無くなってしまった建物、開発が進み様子が変わった自然のほか、現代では見られなくなった人々の生活や習慣が写真として残されています。
撮影された年代と場所が特定できる写真は、現在の町の状況と比べられることから重要な歴史的資料となりえます。

◆2つの写真を見比べてみましょう!
上段の写真は昭和44年(1969)に小型飛行機で撮影された新里地区の写真です。これは発掘された古墳の調査時に撮影したものです。当時の新里地区は現在と異なり建物が少なく、畑が広がっていました。左側に大きめの建物がありますが、これは神川中学校です。当時はまだ神川幼稚園は無く、幼稚園の南側を通る町道もありません。
下段の写真は令和5年(2023)にドローンを使用して上段の写真とほぼ同じ場所を撮影したもので、上段の写真から半世紀も経つと開発が進み、建物や道が増えているのが分かると思います。

◆道路からみた町の移り変わり
本紙4ページの写真は右側が昭和40年代に撮影されたもので、左側が現在の写真です。
(1)国道254号八日市付近
昭和45年(1970)に撮影された右側の写真は、この年から国道254号の工事が始まる前の写真です。現在の写真と比べると、右へカーブする道が今も残されていることがわかります。

(2)丹荘駅踏切
昭和47年(1972)に撮影された右側の写真には神川村国保診療所、その奥には神川村役場があり、道路の向かい側には丹荘小学校が写っています。現在では診療所と村役場があった場所は総合福祉センターの駐車場になり、小学校は木造平屋建ての校舎から3階建ての校舎に変わっています。

(3)・(4)の写真は昭和42年(1967)に開催された「埼玉国体」の際に撮影されたもので、丹荘小学校をスタートし、渡瀬の渡戸橋付近で当時の神泉村に国体旗が引き継がれました。

(3)植竹地内
植竹地内を通る県道新宿上里線を南側から撮影したもので、写真奥には現在の神川町役場入口の交差点があります。国体旗リレー時は道の両側に神川村梨集出荷場があるのみで、周囲は畑でした。現在では畑が少なくなり、住宅や店舗が多く見られます。

(4)渡戸橋付近
群馬県鬼石地区から渡瀬地区を撮影したものです。当時、神泉村に向かうには一度群馬県に入らないと行くことができませんでした。現在の道のオアシス神泉に向かう県道矢納鬼石線は、この国体旗リレーから19年後の昭和61年(1986)に開通しました。

◆昔の写真探しています
今月号で取り上げた写真はどれも昭和40年代のもので、それより以前や昭和50年代以降の写真が少ない状況です。
生涯学習課文化財担当では、神川町内で撮影された写真(明治~平成)を集めています。町内の風景や人々の暮らし(農業や養蚕)など様々な写真を探しています。年末年始の大掃除に古い写真を探してみませんか。
お持ちの方は文化財担当までご一報ください。
※電話での問い合わせは平日にお願いいたします。

神泉地区編は令和6年3月号で特集します。お楽しみに!

※写真は本紙ご覧ください。

問合せ:生涯学習課 文化財担当
【電話】0274-52-2586【FAX】0274-52-2586
月曜~金曜日(土日祝日を除く)

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