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行田歴史系譜354

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埼玉県行田市

■資料がかたる行田の歴史54
▽文政6年の三方領知替と藩士の記録
文政6年(1823)3月24日、江戸城で忍藩主阿部正権(まさのり)が白河へ、白河藩主松平定永(さだなが)(松平越中守家)が桑名へ、桑名藩主松平忠堯(ただたか)(松平下総守家)が忍へ転封となる三方領知替が発令されました。松平越中守家は房総半島沿岸警備の費用が藩財政の負担となっており、白河からの転封を幕府へ働きかけていました。阿部家でも当主正権が病弱で藩主の重責を果たせず、藩内も混乱していました。これら松平越中守家と阿部家の事情から、松平下総守家を交えての転封が行われたと考えられます。
忍城・桑名城・小峰城の受け渡しが行われたのは9月27・28日であることから、準備に半年かかったことが分かります。その間の出来事を記録した史料が各地に残されています。「諸事公私覚書」は台所奉行を勤めていた松平下総守家家臣の奥平十郎左衛門が転封の準備内容を記したもので、藩主の江戸城呼び出しに始まり、6月中旬までの出来事が記録されています。
発令後最初に出された通達は、屋敷の竹木・飛石を荒らすな、火の用心に注意し、博打(ばくち)をするな、屋敷の部屋数などを調べておけといったもので、急な転封のため何を準備してよいか分からず、とりあえず思いついたことを伝えたと思われます。4月21日には家臣の家族や使用人の人数・性別などの調査が行われ、29日には船便で運ぶ家臣の武器・武具類の品名と数量の提出が命じられました。5月に入ると、忍城受け取り・桑名城引き渡しを担当する家臣が順次発表されていきます。
また、城や領地は幕府から拝領しているため、転封に際しては一度幕府に返して、改めて拝領することとなります。そのため、城の受け渡しには幕府から派遣される旗本が上使として立ち会います。その上使が5月末に発表となりました。上使との調整は江戸藩邸の藩士が担当することになります。3カ月ほどの記録ですが、このようにさまざまな調整や準備が行われ、松平下総守家にとって113年ぶりの転封の準備が進められていったのでした。
(郷土博物館 鈴木紀三雄)

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