■資料がかたる行田の歴史70
▽市内で初めて発掘調査が行われた古墳
〜東京国立博物館所蔵資料から〜
小見真観寺古墳(前方後円墳)は、寺伝によると、寛永年間に後円部の中央に位置する横穴式石室(第1埋葬施設)を発掘したとされており、記録に残る本市最初の発掘であった可能性が高いと考えられます。しかし、第1埋葬施設の出土品については記録がないため、詳細は不明です。
その次に、明治13(1880)年に箱式石棺(第2埋葬施設)が発見された際、国が小見真観寺古墳の実地踏査を行いました。博物局長の町田久成が調査を実施して、「武蔵国北埼玉郡小見村真観寺上地官林岩窟検査ノ記」として記録を残しました。その記録は明治32(1899)年に大野延太郎によって転写された付図とともに紹介されました。また、失われたと思われていた付図の原本が近年発見され、付図を描いた人物は柏木貨一郎であろうと結論づけた論文(『古墳文化基礎論集』、古墳文化基礎論集刊行会編集・発行、2021年12月、加藤一郎「小見真観寺古墳と柏木貨一郎」)も発表されています。その付図には古墳と石室の見取り図、石室内の遺物出土状況図などが詳細に記録されていました。
小見真観寺古墳において、このような調査が行われ、記録が残されたことは、本市で初めて、現在に通じる発掘調査が行われたものといえるでしょう。その調査で発見された第2埋葬施設の出土品は、現在の東京国立博物館に所蔵されており、主なものに頭椎大刀(かぶつちのたち)、圭頭大刀(けいとうのたち)、竪矧(たてはぎ)広板鋲留(ひろいたびょうどめ)衝角付(しょうかくつき)冑(かぶと)、有蓋(ゆうがい)脚付(きゃくつき)銅鋺(どうわん)、銅鋺などがあります。
小見真観寺古墳は昭和6(1931)年に国指定史跡となり、現在までに墳丘が大きく失われずに受け継がれてきました。昔からさまざまな人々の興味関心を惹(ひ)き、近世・近代の地誌にも数多く掲載されており、現在も研究資料として取り上げられています。
(郷土博物館 篠田泰輔)
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