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飯能市の上水道のあゆみとこれから(1)

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埼玉県飯能市

■飯能の上水道のはじまり
飯能市の最初の上水道は、旧飯能町時代の昭和7(1932)年に完成しました。
旧飯能町(現在の飯能地区および第二区地区とほぼ同じ範囲)では、住民は飲料水や生活に必要な水を井戸などにより確保していましたが、その水量には限界があり、渇水期には多くの井戸の水が涸れてしまう状況でした。
大正4(1915)年に武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が開通したことで人口が増加するなか、町では、昭和2(1927)年に上水道の布設計画をたて、調査を開始し、昭和5(1930)年7月に上水道創設事業の認可を受け、昭和7(1932)年に給水が始まりました。

■名栗簡易水道の創設
旧名栗村(現在の大字上名栗、大字下名栗)では、飲料水や生活に必要な水は沢水などにより確保していました。冬期に沢水が枯渇してしまうと、観光客にも満足な飲料水の提供が難しい状況でした。そこで村では、簡易水道を設備するため、昭和52(1977)年7月に名栗簡易水道創設事業の認可を受けて、昭和55(1980)年4月から給水を開始しました。
なお、平成17(2005)年1月には、飯能市と名栗村が合併したことで飯能市水道事業に含まれました。

■上水道の拡大
上水道第1期拡張事業は、終戦後、市町村合併などによる急激な人口増加に対応するため、昭和31(1956)年に認可を受けて、本郷浄水場の建設や既設浄水場の拡張が行われました。その後も、昭和38(1963)年に本郷浄水場の拡張工事、昭和47(1972)年に小岩井浄水場、平成10(1998)年に県水受水場および大河原配水場が建設されました。

■有間ダムの建設
入間川下流流域は、都市化により人家が密集し、出水のたびに災害に見舞われ、根本的対策が必要とされていました。また、首都圏近郊に位置するため、人口の増加が著しく、深刻な都市用水の不足を来していました。有間ダムは、これらの問題に対処するため、埼玉県が入間川総合開発事業の一環として建設したもので、都市用水の供給、下流の灌かん漑がい用水、下流域の洪水対策を目的とした埼玉県営第1号の多目的ダムです。場所は、入間川上流の名栗地区に位置しています。ダムの建設は、昭和38(1963)年から基礎調査が始まり、その後地域住民への説明や話し合いを経て昭和47(1972)年に着工し昭和61(1986)年3月に完成しました。

■水源をかんようする森林の重要性
飯能市の水道の水源は、荒川水系に連なる入間川をはじめとする複数の河川からの取水が約85%を占めています。これら複数の河川は、有間ダム上流などの森林を源流としており、飯能市はもとより、埼玉県民、東京都民の水がめの一部にもなっています。
森林は、浸透・保水能力の高い土壌を有する「水源をかんようする機能」や「土砂災害を防止する機能」などを持っていますが、人工的に植林を行った森林は適切な維持管理を行わなければ、その効果を十分に発揮することができません。
飯能市には、荒川水系に連なる複数の河川があり、水源かんよう機能を発揮させることは、市民の飲料水等としてはもちろん、これら河川の下流域の住民生活にも直結しているといえます。

良質な水源の保全は、給水の安定性や持続性の確保に必要不可欠であることから、飯能市では水道利用者に対して水源の大切さや水道に対する理解を得ていただくために、水道週間等を通じて啓発事業を実施しています。

問い合わせ:水道業務課
【電話】973-3661

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