■パリ2024パラリンピック男子やり投げ日本代表 山﨑晃裕(やまざきあきひろ)
▽人の心を動かすアスリートになりたい
先天性疾患による右手関節部の欠損という障害と向き合いながら、パラアスリートとして活躍する山﨑晃裕選手。小学生から野球を始め、2014年には障害者野球の世界大会に出場し、最優秀選手賞に輝きます。その翌年、やり投げに転向し、世界の頂点を目指します。2016年には日本記録を樹立し、2021年の東京・今年のパリパラリンピックと2大会連続入賞を果たしました。
―小学生のころからやってきた野球からやり投げに転向したきっかけは
自分が挑戦している姿を見せることで、人の心を動かせるようなアスリート、人に影響を与えられるようなアスリートになりたいと思っていました。そのためには、見てもらえなくては意味がなく、多くの方が注目してくれるパラリンピックの舞台に立つ必要があると大学生の時に思うようになりました。パラリンピックの種目の中でやり投げなら、今まで野球で培った技術を生かせるのではと思い転向を決めました。
―やり投げの魅力を教えてください
技術がすごく大事で、長く競技を続けたほうが得な種目であり、そして私のように体が小さな選手でも海外の体の大きな選手にも勝てる可能性を秘めた種目です。そこが魅力だと思います。やり投げ競技を通して、自分の生き方や人間として、アスリートとしての深みを出していけたらいいなと思っています。
―東京とパリ、2大会連続の出場となりましたが、どんな違いがありましたか
パリ大会は夢を見ているような感覚でした。無観客の東京大会とは違い、何万人もの観客を収容できる会場が超満員の状況で、その中で自分がやってきたことで勝負ができることがすごく幸せでした。緊張とかはなかったですね。すごい景色を見て、感動でした。これがもし東京だったらとは考えてしまい、無観客で静まった会場でやり投げをした景色を思い浮かべてしまいました。
―挑む時の気持ちの違いはありましたか
東京の時は初出場で、自分自身背負うものが大きくて、結果を出さなきゃ、期待に応えなきゃ、勝たなきゃいけないなど、結構気負ってしまい、心が弱っている自分を感じて苦しかったです。
パリの時は、誰に何を言われても全てを背負って試合に臨むことができて、心の成長を感じました。自分が納得すればそれでいいという感じで、自分だけに意識を向けて競技に臨むことができました。
―東京からパリまで通常だと4年ですが、今回は3年と短い期間でしたが、調整などご苦労はありましたか
3年で何が大変だったかというと、大きな大会が年に2回になったことです。具体的な例を挙げると、昨年では7月にフランスで世界陸上、10月に杭州でアジア大会がありました。今年でいうと、5月に神戸で世界陸上があり、パラリンピックの選考を兼ねており絶対に落とせない試合でした。そして9月にパラリンピック本番となり、調整もそうですが、気持ちの面でも、ずっと張りつめていなければならない期間が続いて、悪く言えば余裕のない期間が多かったので苦労しました。
そんな状態でも常にモチベーションを保ち、練習しすぎないように気を付けていました。そして、できる限りイメージを大事にしていました。勝負どころで、ダメだったらどうしよう、本戦に出られなかったらどうしようなど、何かを目指していく不安や怖さと向き合うんです。でも、その思考と向き合っても何のプラスにもなりません。感情を天気だと思うようにしていました。雨が降っていたら「雨が降っているな」と気が付くだけで、降り止ませることはできないですよね。怖いな、心配だなという感情がでても、その感情に気づけたっていうだけで、それをどうしようとか向き合うことはしないで、自分に意識を向ける訓練をひたすらしていました。人間って、悪い方向にイメージしたらそっちに引き込まれてしまうものです。引き込まれないように感情をコントロールする練習をするんです。
そして、試合が近くなればなるほど余裕で楽でいられなくてはならないんです。気持ちの面でもそうですし、練習についてもそうです。やり投げも一緒で、助走に入ったら最初はスピードを出しますが、投げる直前が一番楽でいられなきゃいけないんです。その過程も一緒で、試合直前は余裕をもって、いつでも行けますよ!って状態を作るようにしています。
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