■[第三十一回]増田シカ
増田シカは嘉永4年、中津藩士である富永応助(とみながおうすけ)の娘として生まれました。神戸高等商業学校初代校長を務めた水島銕也(みずしまてつや)はシカの甥にあたり、銕也は母のような存在としてシカを慕っていたようです。
シカは明治元年、福澤諭吉の又従兄弟である増田宋太郎と結婚しました。明治10年の西南戦争で宋太郎が戦死し、その後まもなく銕也の父でシカの兄弟である水島均(みずしまひとし)も病死する憂き目にあいました。その後は当時中津で推し進められていた製糸業に従事しました。明治13年には富岡製糸場に派遣される女工研修生として選抜され、引率者として群馬県に赴くと2年半ほど過ごしました。明治21年頃になると銕也に呼び寄せられ、共に過ごしました。水島邸を訪れた人からは「賢夫人」と評判で、学生や知人の面倒を見ていたようです。昭和4年、80歳で没しました。
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