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福翁辞典

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大分県中津市

■[第三十二回]奥平昌邁
奥平昌邁(おくだいらまさゆき)は中津藩の最後の藩主で、安政2年に宇和島藩主・伊達宗城(だてむねなり)の四男として江戸に生まれました。文久3年に奥平昌服(まさもと)の養子となりますが、この養子入りは昌服がまだ若く跡継ぎの誕生の可能性もあったため、藩内の分裂を生み、奥平壱岐(いき)が失脚する原因となりました。大阪城警衛の任などに付き、慶応4年、家督を相続後、初めて中津に入府し、版籍奉還に伴い中津藩知事となりました。明治4年に慶應義塾に入塾、廃藩後12月に米国に留学しました。福澤は昌邁の面倒をよく見て、学校生活や留学時の支援を行いました。明治6年に病のため帰国し、その後は東京府会議員や東京府芝区長を務め、明六社の会員になるなど活動しました。
また、道路や銀行など中津の発展や旧藩士たちの調整にも尽力しました。しかし明治17年11月、若くして亡くなりました。

問合せ:新中津市学校
【電話】26-1459

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