文字サイズ
自治体の皆さまへ

福翁辞典

22/24

大分県中津市

【第二十五回】鈴木閒雲
鈴木閒雲(すずきかんうん)は天保3年に中津藩上士の子として生まれました。幼名は力兵衛といい、明治維新後には閒雲と名乗りました。幼い頃から非常に明敏で、進脩館でも優秀な成績を修め、才能が認められて藩政に参画することとなりました。優れた政治を行った閒雲は、維新後も大参事に任じられ、藩札処分の際には中津藩の実情に見合った交換率になるよう、山口広江と共に大蔵省と交渉して成功しました。中津が小倉県となった頃に官職を退任しましたが、その後も旧中津藩士の互助組織である天保義社の幹部として旧藩士を導き、西南戦争休戦建白書を提出するなど活動しました。明治11年、初代下毛郡長に就任し、一度は退職するも再び任について長く郡長を務め、明治42年に亡くなりました。福澤諭吉は藩士の頃から閒雲と親しかったようで、扶持米の周旋なども依頼していて、維新後も中津での調整を頼むなど閒雲をよく信頼しました。

問合せ:新中津市学校
【電話】26-1459

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU