■[第三十回]永田一二(ながたかずじ)
永田一二は中津藩士・永田源右衛門の長男として、嘉永3年に生まれました。明治4年、藩主・奥平昌邁(おくだいらまさゆき)に随行して、慶應義塾に入学しました。廃藩置県のため半年足らずで中津に戻り、開校間もない中津市学校の教員となりました。その後慶應義塾に戻り、明治8年に卒業し、慶應義塾に教員として務めました。明治10年には土佐立志社付属の教育機関、立志学舎に慶應義塾から派遣されて英学を教授しました。
また教職の傍らで自由民権運動に傾倒し、愛国社に加入。その後はジャーナリストとして、北陸自由新聞や岡山日報など各地の新聞社に勤務し、主筆も務めました。
しかし、明治30年、46歳の若さで亡くなりました。立志学舎に勤務していた永田に宛てた福澤諭吉の書簡が残されています。
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