「玖珠神楽」考-海洋民族の神楽との比較から-
文化財調査委員 西村 威
こんにちは。文化財専門員の西村です。前回は私が姫島村出身、つまり「島育ち」である告白をし、九重町との縄文の昔からの長~いつきあいの話をしました。今回は、先月号の音成調査員の「玖珠神楽」を受けて、我が姫島の神楽、すなわち海洋民族の神楽との比較をしてみようとおもいます。
舞うとは、舞台を盛んに回る所作からきていると神楽を調べるうちに知りましたが、成程「玖珠神楽」は非常によく回る。回らない舞いは無いと言える程によく回る。それは相当な距離を歩いて行く、または小走りすることですね。はて、「姫島神楽」はそんなに回っていたか?、私の記憶の中にはそんなイメージが無い。あるのは、張りきった肩からくる上半身の力強さ、筋肉の力み、上体のアピール、それが少年の私を魅了していました。中腰や蹲踞の所作から、腰の強さや腰の粘りは感じても、百里の道を行く古代の神(玖珠神楽の神々)とは違う。そうだ、それはまさに軽舟の戸板の上で踏ん張るあの二枚腰の姿だ。長距離には向かない足だ。駅伝をすれば断然、(玖珠神楽)が勝つ。
「玖珠神楽」はルーツが日向系岩戸神楽と言われ、享保五年に伝わり、三百年の歴史を持つ神楽である。最も岩戸神楽の中で原形に近いと言われている。先年、楽人の方々が高千穂神楽に接した時にその舞い方や所作が違うことに意外な感を持ったということである。
かたや「姫島神楽」は出雲神楽で豊前系との説がある。漁師は山の神々が歩くのと同じ距離を二の腕で漕ぐ(櫓漕ぎ)。だから二の腕の太さは凄い。下半身は荒波の中でもびくともせず舟板にまるでコバンザメの吸着盤のようにピタッとへばりついている。微動だにしない。ひょっとすると「姫島神楽」は陸地の上でなく、舟の上で舞っているのではないか。神様、仏様、稲尾様のマウンドでのあの二枚腰だ。稲尾は別府の漁師さんの息子でした。
「玖珠神楽」の神々はよく舞台から降りてくる。人々の中に入ってくる。時に子供たちを追っかけ、捕まえて泣かせ、そして抱いて可愛がる。酒席にも入ってくる。天之売素女命(あめのうずめのみこと)などは媚びを売ったりして、人々と和む。神は近いのだ。そして皆さんと仲良しだ。「姫島神楽」の舞台は高く、神々が下りてきたのを見たことが無い。舞台の外は海なのだ。あれは大きな船だ、降りられないはずだ。
「姫島神楽」の舞台は船なのだ。「姫島神楽」の祭りのフィナーレは鳥居の外まで出かけて行き、出雲系の荒ぶるオロチと同じく荒ぶる神の決戦が始まるが、(この戦いが少年の日の私には頗る大好きなものであった)どうしてもわからなかったのが、何故、鳥居の外に出かけて行くのか、ということであった。あれは海を渡って行き、ある地で、何の保護もなく、何の勝利の保証もなく、いわゆるスサノオが、高天ヶ原の外で強大な敵と闘うということだったのでは。…そう言えばスサノオらしき神はいつも危うく、危機一髪であった。ある秋祭りの際は、負けるんじゃないかと真剣心配したほどで、実に楽しかった。
今も「玖珠神楽」には、平日であっても沢山の人々が集まって来て舞いに見入っている。「姫島神楽」はもう何十年も見ていない。あのスサノオらしき神は今も苦戦しているだろうか…。
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