『九重町文化財調査員会会長さま』
文化財調査員 音成葉子
今年1月下旬、九重町文化財調査員会会長の内恵克彦氏が亡くなられました。調査員として在籍50年目のことでした。
私が見た内恵さんは文化財パトロール時も、他県への研修時でも、必ずメモ帳を片手に、出発や到着時刻まで書き込み、行程を細かに記録していました。町内にて、石造物などの新しい発見があると、その場でメジャーを取り出し、書き写し始めました。そのときの真剣な眼差しと姿は深く印象に残っています。
長い間、自営の製麺業の傍ら、時間を見つけては発掘、調査し、記録しては、時代背景をもとに検証する。ひとつひとつ地道で根気のいる作業の繰り返しだったこととお察し致しますが、その熱意で今の九重町文化財調査員会が成り立っていることは間違いありません。
内恵さんの自宅には何度も通いました。書斎でも、声をかけられないほど集中した姿を何度か見かけましたが、お酒も欠かさず飲んでおられました。本当にお酒が好きでしたね。本松屋やアミーで買った刺身を肴にレコードを聴いたり、町内の昔の暮らしがよくわかる風景写真を見せてくれたり、盆踊りの口説きを唄ってくれたり。私は、自宅に実った柿やキウイまで採らせて頂いたことも。
文化財調査員メンバーと行きつけの『はねやま』で焼き肉を囲み、賑わったのも今となっては。みんなで飲むのは、いつも『焼酎なしか』のお茶割りでしたね。お酒が入ると、専門的な歴史の話題で皆さんと盛り上がり、文化財発掘におけるかつての奮闘ぶりも語られたりと、心豊かでたのしいひとときでした。
内恵さん、調査員としての50年お疲れさまでした。遺してくださった膨大な資料や調査書、メモ帳等は、ご家族のご協力のもと、九重町文化財調査員会にて保管されます。
今回、ふるさとの文化財探訪の寄稿はこのような手紙にしました。けれど、探訪寄稿を集めた内恵さんのスクラップブックに、切り抜きが貼られることはもうないのですね。
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