■スポーツをすることは「人権のひとつ」
今年は例年になく、スポーツの世界的イベントが多く開催され、選手個々の熱気あふれる姿が感動と勇気を与えています。
そのスポーツイベントの代表格である「オリンピック」のオリンピック憲章にある「オリンピズムの根本原則」には、近代オリンピックの父と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン男爵が提唱した「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でより良い世界の実現に貢献する」というオリンピックの精神が引き継がれています。
その上で、「すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、(中略)スポーツをする機会を与えられなければならない」、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、(中略)出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」など、人権に係る項目がいくつか列挙されています。
そのような中、令和4年3月アイルランドの首都ダブリンで開かれた体操競技の表彰式で、とても悲しい出来事が起こり、その様子がSNSを中心に拡散され「人種差別だ」とする批判が相次ぎました。嬉しそうにメダルの授与を待つ子供たちに競技関係者が次々とメダルを掛けていきますが、なぜか黒人の少女だけその順番を飛ばされてしまいます。ほかの子にメダルが掛けられていく様子を困惑した表情で見つめる少女をフォローする人は誰もいません。
関係者は、過ちに気付き、後にメダルを授与したと語っていますが、少女とその家族に対する謝罪は、それから約1年半が過ぎた頃でした。
スポーツの舞台で、少女をはじめ多くの人が深い傷を負ってしまった出来事。少女の心の回復を祈り、オリンピズムの根本原則に沿った、スポーツ本来の輝きを期待せずにいられません。
問合せ:人権啓発センター
【電話】22-8017(市役所別館1階)
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