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人権コラム 気づき NO.48

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大分県杵築市

■波多方峠で想う
「あー気持ちいい!」杵築市大田の波多方峠(はたかたとうげ)に立ち、峠を駆け上ってくる心地よい風に思わず声が出ました。「杵築藩浅黄半襟懸け拒否逃散一揆(きつきはんあさぎはんえりかけきょひちょうさんいっき)」の足跡をたどるフィールドワークで今夏4回訪れた波多方峠は、この酷暑の中でも毎回爽やかな風が吹いていました。そして杵築の町、守江湾、佐賀関、四国佐田岬まで見渡せる大パノラマに気持ちまでスカッとさせてくれます。しかし、講師の解説の声にハッとさせられ、参加者も一斉に眼下の町に目を向けると、当時の人々に想いを馳せたのか、無口になりました。
1805(文化2)年、杵築藩で、浅黄色(水色)の半襟着用を命じた藩の差別政策に憤った被差別身分の人々が、人としての尊厳を守るため逃散(ムラを捨て他藩に集団で逃げる)一揆に立ち上がりました。169名が、仲間を信じ、決起日を合わせ、家族を残し、杵築藩全域から隣の島原藩豊州領へと向かいました。夜の闇にまぎれ山中を歩き、波多方峠まで来た人たちは、あと少しの安堵感と故郷に残さざるを得なかった家族を心から想い、「これが最後かも…」と、ムラや我家を探そうと目を凝らしたことでしょう。その時の想いを想像すると胸が熱くなります。波多方峠に向かう道を歩き、峠から振り返ると、当時の人々の想いにすっと寄り添うことができるように感じました。
全員が豊州領にたどり着いた2か月後、逃散した人々は家族の元に戻され、誰一人罪に問われることなく、差別法令は取り下げられました。この一揆は、有名な岡山藩渋染一揆より50年も前の日本ではじめて成功した人権をめぐる闘いでした。この逃散はただ逃げただけではない。したたかに情勢を見極め、厳しい「タテ」社会の中で「ヨコ」の強い結束と勇気で成しえた意義がよく分かりました。この郷土の史実を掘り起こし、伝え続けてこられた先輩諸氏のご苦労や講師の丁寧な説明に感謝します。
波多方峠からバスに乗る前、もう一度峠から杵築の町に目をやると、相変わらず心地よい風が吹いていました。もっと多くの方々に、誇れる地元の歴史を知ってほしいし、波多方峠の心地よい風と景色を感じてほしいと強く思いました。
〔社会教育課、人権啓発・部落差別解消推進課、隣保館〕

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