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木綿(ゆふ)の山通信

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大分県由布市

今回は挾間町にある「慈航寺の石造宝塔」の紹介です。
挾間町を庄内方面へ向かう、国道210号線沿いのJR鬼瀬駅手前の篠原橋を渡り、200mほど先の三叉路を右に曲がり少し進むと、今は廃寺となっている重元山慈航寺があります。立派な山門(小楼門)をくぐって境内地の最も奥に位置する小さな墓地の一角に、この宝塔があります。
宝塔は、平安時代の初期に密教とともに日本に伝わりました。方形の基礎・円筒形の塔身・笠・相輪からなるのが一般的ですが、相輪の代わりに請花・宝珠とする例もあります。建立の目的は納経・追善供養・逆修(生前供養)墓標などさまざまです。
また、塔身に梵字を陰刻するものもあり、基礎などに刻み込んだり墨書されたりした銘文から、建立の目的を知ることができる場合もあります。

納経は、平安時代末期に起こった末法思想と関係が深く、釈迦入滅56億7000万年後に「弥勒菩薩がこの世に現れ衆生を救う時まで経典を保存する」という考え方に基づいて行われたものです。
この宝塔は総高197cmを測りますが、相輪の上部が欠損していることが惜しまれます。
塔身の四方には梵字のア(大日如来の意)が薬研彫りされています。さらに、かなり判読しづらくなっていますが「元徳二庚午三廿二阿闍梨定心」という刻銘があり、元徳2(1330)年3月22日に造立されたことが分かります。

この宝塔の最も特徴的な部分は、笠部の上部にある請花・伏鉢に配される蓮弁の表現方法です。
通常のものは、蓮のふっくらとした花弁をそのまま写したような、幅広でゆったりとしたつくりとするのがほとんどです。しかし、この慈航寺宝塔のものは、縦に細長い短冊状の区画を全周に設け、この中に蓮弁を表現したものとなっています。一見すると単純な縦線を密集させているだけのようにも見えます。
このような表現方法はこの地域では他にみられず、極めて特徴的なものであると言えます。

問合せ:社会教育課
【電話】097–582–1203

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