今回は、永慶寺の茶釜(市指定文化財:工芸品)の紹介です。
国道210号の大龍信号から県道30号庄内久住線を南に進むと、左手に小高い丘が見えてきます。茶釜はこの永慶寺の寺宝とされていますが、開山忌(9月)にのみ公開されるため、普段は見ることができません。
「真形(しんなり)」と呼ばれる形式で、やや扁平で平釜に近い造形となっています。肩はなだらかで甑口(こしき)の立ち上がりは低く、1本の玉縁(たまぶち)を巡らせています。胴の上部には鐶付(かんつき)を2か所に設けていますが、単なる円形ではなく、猫の耳のようなやや尖った形となっています。また、正面に大きく月輪を鋳出しているのが目を引きます。
また、茶釜に関しては、次のような言い伝えが残っています。
○金の茶釜
むかし、永慶寺には大きくて立派な金の茶釜があり、寺の宝物として大切にされていました。ところが戦国時代のある日、薩摩の島津勢が豊後に攻め込んできました。島津勢は大友氏の城を次々と落としながら、五ヶ瀬にも迫ってきました。
永慶寺のあたりでも戦いがおこり、寺も散々に攻められて焼かれてしまいました。戦いが終わって寺の和尚さんが戻ってみると、大切な茶釜がなくなっていました。和尚さんはとても心配して一生懸命探しましたが、どうしても見つけることができませんでした。
それから何十年も経ったある日、庄内で妙な噂が広まりました。「大分にものをいう茶釜があるそうな。永慶寺へ帰りたい、永慶寺へ帰りたいと、夜になくそうな。不思議な茶釜じゃ。」
その茶釜の持ち主は、古道具屋でいい茶釜を見つけたので買って帰りましたが、このような奇妙なことが起こるので、永慶寺に返したいという気持ちになりました。
永慶寺に帰った茶釜は、湯を沸かすとそれはそれは、何とも言えない、いい音がしました。その音は、静かにお経を唱えるようで、村人たちはその音を聞くと心が落ち着き、優しい気持ちになったということです。
問合せ:社会教育課
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