今回は挾間町北方にある市指定文化財「皇産霊(みむすび)神社参道石畳・石段」の紹介です。
挾間町北方に位置する皇産霊(みむすび)神社は、北方地区のほぼ中央に、北方や上市、下市方面を見渡すことができる小高い斜面の中腹に位置します。
石畳(参道)および石段は全ての石材がスガメ石で造られています。参道の中ほどを市道が横切っており、この部分だけが舗装されています。
石畳の参道は南の旧道から市道との交点までが63・8m、市道を合わせた北の石段までが42・8mを計り、総延長106・6mで幅は1・6mとなっていますが、そのむかし、今の挾間小学校、当時の挾間城まで続いていたそうです。
この参道がいつ造られたのかはわかっていませんが、社伝によると皇産霊(みむすび)神社は、寛弘8(1011)年10月3日に行者の豪山和尚が妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)を祀ったことに創まるといい、狭間大炊四郎直重はこれを氏神として崇敬し、のち累代の厚い信仰を受けたと記されていることから、戦国時代までには整備されたものと考えられます。
また、先述した通り皇産霊(みむすび)神社は妙見大菩薩を祀ったことに創まるとされていることから、「妙見宮」「妙見様」と呼ばれていました。
古代中国では北極星を「天帝」とみなして信仰していましたが、これに仏教的思想が入り、妙見菩薩と言うようになりました。妙見とは「善悪・真理を見通すもの」という意味で長寿延命や除災招福(じょさいしょうふく)の仏として信仰されてきました。
妙見宮は天正14(1586)年の島津氏との戦いで兵火にあい、社殿や宝物などを失いますが、江戸時代に臼杵藩主稲葉氏により修復されて現在に至ります。
問合せ:社会教育課
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