今回は庄内町にある県指定重要文化財の渕の板碑の紹介です。
国道210号を大分方面から湯布院方面へ向かう途中、柿原から左に入る市道瓜生田上々渕線を中渕で左折して少し上がると田んぼの一段高い場所に板碑がみえます。
板碑は中世仏教で使われた供養塔で、鎌倉室町時代の武士の興隆と共に発展してきました。武士や僧侶によって、しっかりとした大型のものが造られましたが、室町時代になると庶民にも広がり小型化したようです。
基本構造は、板状で石の頭部を山形に造りその下に2段の切り込みと額部、像容・種字題目・銘文などを刻んだ細長い板状の碑身、さらに碑身の下に基礎をもった、ごく簡単な造りとなっています。
この板碑は総高227cm、幅64cm、厚さ35cm、とても大きな両面板碑です。
碑身の表面には月輪の中にアーンク(胎蔵界大日)、裏面は同じく月輪中にバン(金剛界大日)の種子が彫られています。基礎の部分に大小12個の※盃状穴と呼ばれるくぼみがあります。昔、母乳の出が悪い女性がこの穴に赤飯を供えて祈願したと伝えられています。
この板碑の一つの特徴としては、碑文の下部を若干湾曲させ、基部を厚くする姿となっている点です。市内の板碑や笠塔婆でこのような手法をとっているものは他に例がなく、大きな板碑を安定させる工夫なのか、また作製年代を特徴づけるものかは不明ですが、この加工により上方に伸びやかに立ち上がる、高台に森厳とそびえ立つ渕の板碑です。
※盃状穴とは、石の構造物などに彫られている盃状の穴のことであり、病気の治療や子宝に恵まれることを願ったものとされています。
問合せ:社会教育課
【電話】097–582–1203
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