今回は庄内町にある市指定重要文化財の木造阿弥陀如来像および観音・勢至菩薩立像の紹介です。
国道210号線の下武宮交差点を南へ曲がり、道なりに西方へ進むと、左手に星南大橋が見えます。この橋を渡り、南へ向かうと、旧道との変則的な交差点に出ます。この交差点の右手に、「あみだ堂」と白字で書かれた小さな案内板があります。
そこには、いくつかの石造五輪塔とともに、小さなお堂があり、この中に、ご紹介する仏像があります。
お堂に入ると、一段高い壇の上に阿弥陀如来像と、その両脇侍である観音菩薩、勢至菩薩が現れます。
三尊とも立像形式で、仏教における仏像安置形式として典型的な、阿弥陀三尊像です。観音菩薩は阿弥陀の「慈悲」を表す化身とされ、勢至菩薩は阿弥陀如来の「智慧」を表す化身とされています。
中尊の阿弥陀如来像は百三・七cm、左脇侍の観音像は五十一・二cm、右脇侍の勢至菩薩も同じく五十一・二cmを測ります。いずれも木造で、作られた年代ははっきりしませんが、阿弥陀如来像は平安時代後期(十二世紀ごろ)の作と推定されており、これだけ大きな木造立像で現存している例は由布市では確認されておらず、最古級の仏像であると言えます。
両脇侍については、作成年代を示す史料が未だ確認されていないので、詳細は不明ですが、その作風から、やや時代の下った室町時代の作であろうと推測されています。
また、堂内にある棟札には、墨書で次のように記されています。
(表)
「阿弥陀三尊 浄安寺二七世
奉粉色 忍誉上人代
願主
仙誉孝道 肥後領五ヶ瀬村平氏軒
大仏師 葛城寿仙」
(裏)
「安政三年辰 庄屋 森山利兵右衛門
世話人 林右衛門
清太郎」
この棟札から、この三尊像は安政三(一八五六)年に修理を行ったことがわかります。なお、「浄安寺二七世」との記述が認められることから、かつては寺院に安置されていたことを物語っていますが、この浄安寺がどこにあったのかは現在判然としていません。
しかし、平安期・室町期から今日にわたって地区の方々の信仰を受け続けている大切な仏像と言えるでしょう。
問合せ:社会教育課
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