■西方独逸のカルルスバード
(※パンフレットの図は本紙をご覧ください。)
これは昭和八年に長湯温泉協会が設立されて最初に作られたパンフレットである。長湯温泉の遠景のカット右下に「東方日本の長湯温泉」左下に「西方独逸のカルルスバード」という文字が添えられている。
このパンフレットを作ったのは初代長湯温泉協会長の御沓重徳氏。情報環境の貧しい時代、山間の温泉宿の主人である御沓氏が遠く海の向こうを意識したのは九州帝国大学の松尾武幸博士との出会いがはじまり。
松尾博士は世界有数の炭酸泉の地ドイツで温泉治療学を学んだ権威であった。帰国後、長湯の炭酸濃度の高さに注目。通い詰めた挙句、温泉研究所まで設置している。松尾博士から聞く炭酸泉やドイツの話は御沓氏にとって驚きの連続だったろうことは想像に難くない。
その衝撃度の高さを証明するのが、その後の御沓氏の活動だ。松尾博士の温泉研究所開設に奔走し、長湯温泉協会の設立、英語付記のパンフレットや絵葉書の作成、温泉研究者や与謝野晶子、野口雨情などの文化人を招いてのPR戦略。そして、昭和十年には念願のドイツ建築の洋館「御幸湯」を完成させている。
こうした想像を絶する急展開が松尾博士から受けた影響の大きさを物語る。
九十年前、九州の山深い温泉地から遠くドイツを夢見た先人たちの足跡だ。
(直入公民館長 林寿徳)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>