■豊後竹田駅開通百年
豊後竹田駅は開業して以来令和6年に百年の節目となる。朝地駅から延伸して大正13年(1924)10月15日に開通祝賀会を迎えた。豊肥線は明治25年(1892)に計画され大分県側はまず大分駅―中判田間が「犬飼軽便線」として大正3年に開業し、同年に熊本県側でも熊本駅―大津駅間の鉄道敷設工事が進められ、宮地駅―熊本駅間は「宮地軽便線」として両線ともに開業した。大正5年には中判田駅―竹中駅間を延伸し大正7年には竹中駅―犬飼駅間、大正10年には犬飼駅―三重町駅間、大正12年には緒方駅―朝地駅間、そして朝地駅―豊後竹田駅間が開通となった。豊後竹田駅の場所は豊岡村下木に決定され、前年から田畑を開墾して広大な敷地に本線ホームと側線並びに駅舎の建設が始まった。その後最後の区間である玉来駅―宮地駅間が開業して大分駅―熊本駅間が全通したのは昭和3年(1928)である。
建設当初の駅舎は木造平屋建築で正面に千鳥破風の三角屋根が二か所付く設計であったが、幾度か修理され昭和62年に武家屋敷風の白壁駅舎となった。大正13年の人口は竹田町が5、394人、玉来町他直入10か町村の総人口は27、833人である。加えて竹田町の商店数は730戸あり、活気にあふれた時代であった。駅は戦後の好景気を受けて急行火の山号も運転され、貨車取扱い駅として物流も栄え昭和30年代の高度経済成長期には町を一段と飛躍させる原動力となった。SL機関車も昭和48年に姿を消したがホームでは当時としては珍しく列車の発着音楽に「荒城の月」を流して有名になった。
(井上隆)
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