■~阿蘇くじゅう国立公園指定90周年~
昭和9(1934)年12月4日、阿蘇国立公園(その後、阿蘇くじゅう国立公園に名称変更)に指定されて今年で90周年を迎える。久住地域の面積の3分の1が山岳地帯、3分の1が高原地帯であるが、地域全体の約半分の面積が国立公園内に含まれた。90は(くじゅう)と読めるので、語呂合わせで、今年は久住にとって記念すべき節目の年である。
国立公園指定に向けた働きかけは、大正から昭和初期にかけて積極的に行われた。久住支所に残されている陳情書や請願書には、昨年のまるごと博物館でも紹介した久住の「工藤元平(くどうもとへい)」や別府の「油屋熊八(あぶらやくまはち)」の名前があり、国立公園協会の地方幹事として取り組んできたことが分かる。
久住高原には、詩人北原白秋(昭和3年)、野口雨情(昭和9年)、歌人与謝野晶子夫妻(昭和6、7年)、ジャーナリスト徳富蘇峰(昭和9年)をはじめ、多くの文人たちが訪れている。
元平らが招待し、久住周辺の各地を案内しているが、これらは指定に向けて、くじゅうの自然の素晴らしさを全国に紹介する取り組みの一環であったのかもしれない。
(久住を訪れた文人たちの歌碑が、高原の各所に建てられている)
その後、昭和36年に「大船山のミヤマキリシマ群落」が、昭和37年には「くじゅう山のコケモモ群落」が国指定の天然記念物になっている。こうして、くじゅうの素晴らしい自然は守られてきた。
(本郷純司)
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