■~志土知溜池井路120年の歩み~
▽志賀今太(しがいまた) 井路を堀り継ぐ
志土知から旧宮城台小に向かう途中、水路管が道路に渡してあります。これが志土知井路の本線です。120年前、今太は上畑の岩下に溜池を築き、椛平から志土知へと井路を掘り継ぎました。弓木、中旗、大口地区の水田耕作が可能になったのでした。井路は約3キロメートルの長さがあり、現在組合員8名、灌漑面積は約5ヘクタールです。(井路の工事係 佐藤征年さんの話)
▽井路と溜池の工夫
井路ができた時は朝通水し、夕方は断水していました。夜間に貯水をしていたということです。溜池は断崖の下にあります。濁流が溜池に流れ込むのを防ぐため、濁流を別に流す井路があります。溜池の堰堤の横に隧道となって出てきています。堰堤の下にも工夫があり、当時の人たちの農業用水確保への執念深さを感じます。
▽受益地の人々の苦労
昭和の時代になると、宮城村で管理するようになりました。昭和9年の旱ばつでは作付けができなくなり、人々は大豆や栗を植えて飢えをしのいだとのことです。現在では、県の事業で耕地と水路の整備が行われています。
(衛藤頼光)
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