■都野に高校誘致を成功させた 都野村長 衞藤大(えとうだい)
衞藤大氏は明治29年8月26日、都野村塔立に生まれる。大正3年3月、大分県立日田農林学校を卒業し、大正9年3月に台湾新竹州技手として奉職、大正15年8月台湾総督府技手、対中食糧事務所長、食料米穀部長などを歴任し、昭和21年都野に引き上げた。この間、従6位勲6等瑞宝章を授与されている。
昭和22年公職法により都野村長に選出され、氏は温厚篤実な人柄で多くの人々から「村長さん、村長さん」と慕われたという。そんな親しみやすさと農業畑を歩んできた経験を生かし、すさんだ村民の心を癒すとともに、食糧難の解消に力を注いだ。
そんな中、農業委員会や森林組合の発足、また先の戦争で犠牲者となった英霊の遺徳の顕彰にも積極的に尽力し、都野村並びに都野遺族会とともに集団墓地公園の建設を企画した。従来、都野小学校校庭にあった忠魂碑を千人塚神田山の高台に移転し、都野墓地公園として戦没者113柱の遺徳の場を建立した。
また昭和29年、竹田高等学校定時制都野分校の設置に成功。都野小学校裏に、終戦間近に建設された成年学校の施設跡を借りての出発だった。その後、現在の池の口に新設移転された。
昭和36年、竹田高校定時制都野校舎と長湯校舎が統合され、竹田高等学校久住分校となる。「分校を独立校に」が住民の悲願で、20年近くにわたっての大分県への要望であった。平成31年大分県立久住高原農業高等学校として独立し、今や大分県唯一の単独農業高等学校となった。元をただせば、氏が都野村長在任中、竹田高校都野分校の設置に成功したことによるもので、氏の大なる功績といえる。
昭和30年4月、大分県議会議員に当選し、県政・地元の発展にも尽力した。
(福澤皓一)
参考:都野百年のあゆみ
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