豊後大野市と佐伯市との境に位置する標高664mの三国峠は、歴史的に臼杵藩・岡藩・佐伯藩の境界付近であることからその名が付いたとされています。ここは「日向道」と呼ばれる峠道があり、大分から宮崎方面に通じる古代官道を起源とすると考えられています。現在は廃道となって、その痕跡は失われていますが、かつては多くの旅人が行き交う重要な交通路でもありました。
明治10(1877)年に西南戦争が起き、この峠道は戦場になりました。この峠を越えて大分方面に進軍した西郷隆盛配下の薩摩軍は三重や竹田などで戦い、やがて追い詰められながらもこの地で抗戦を繰り広げました。当時の戦死者をまつる墓石や祠、記念碑などが戦いの激しさを物語っています。
その後は眺望の良い景勝地として知られるようになり、種田山頭火が昭和5年に遠くの祖母山を眺めながら「日が落ちかかるその山は祖母山」という句を詠んだことでも知られています。
問い合わせ先:豊後大野市資料館
【電話】0974-24-0040(月曜・祝日休館)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>