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交野に残る家康の足跡

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大阪府交野市

織田(おだ)信長(のぶなが)、豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)と並ぶ三英傑の1人、徳川(とくがわ)家康(いえやす)。交野市は家康の人生に度々かかわっており、今も史跡が残っています。家康ゆかりの地とともに交野市とのつながりを紹介します。

■家康を案内した星田の村人
伊賀越えの際、星田の村人2人が家康一行の水先案内人として派遣されました。「沙弥安(しゃみやす)」と、見識が高いことから「けんしき」と呼ばれた2人は現在の京田辺市飯岡まで家康を無事に送り届けたと伝わります。

■星田からの推定逃走ルート
星田から飯岡までの経路は伝承に明記されていませんが、郷土史家・西井(にしい)長和(ながかず)さんは明治時代の測量図をもとに逃走ルートを推定。星田山中から現在のほしだ園地付近(馬が峯)で天野川を横断し、奈良県生駒市の挟戸(現在のくろんど園地付近)まで進んでから交野山地を北上し、穂谷を抜け飯岡へ至ったとみています。
この説は家康側近が記した「石川忠総留書(いしかわただふさとめがき)」の経路と一部重なっており、星田の伝承には注目すべき点が含まれていると言えます。

■危機一髪だった伊賀越え
南山城へ抜けた家康は、忍びの助けを得ながら現在の三重県を通過し三河に帰還しました。逃走中、武将の穴山(あなやま)梅雪(ばいせつ)は一行から遅れたところを襲撃され絶命。紙一重で成功した伊賀越えの陰には平井家をはじめとした星田の人々の活躍が少なからず貢献したと言えるでしょう。

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