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交野に残る家康の足跡

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大阪府交野市

織田(おだ)信長(のぶなが)、豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)と並ぶ三英傑の1人、徳川(とくがわ)家康(いえやす。交野市は家康の人生に度々かかわっており、今も史跡が残っています。家康ゆかりの地とともに交野市とのつながりを紹介します。

■秀吉の治世と太閤検地
家康が伊賀越えを成功させた一方で、羽柴(はしば)(後に豊臣(とよとみ))秀吉(ひでよし)はいち早く明智(あけち)光秀(みつひで)を山崎の戦いで破り、家康をも従えて天下統一を進めました。
秀吉の施策として有名なのが、全国の土地を調査し課税の基礎とした「太閤検地」です。現在の交野市域でも文禄3年(1594)に検地が行われました。この際の検地帳は、星田のものが残っており、概要を掲載した交野町史によれば、厳しい税に交野の人々も苦しんだのではないかとみられています。

■秀吉配下の交野の領主
この時代の交野では、豊臣家の意向に沿って新たに領主が置かれています。星田には美濃出身で元・織田家家臣の市橋(いちはし)長利(ながとし)が領主となりました。
伊賀越えで家康を助けたという星田の平井家も、この頃に市橋家に仕えることになりました。星田の市橋家と平井家の存在は、秀吉の死後に豊臣家を倒そうとした家康を助けることになるのです。

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