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八尾歴史物語 六十巻

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大阪府八尾市

■河内名所図会を歩く(11)~十三街道の道標1~

道のかたわらに残る道標は、街道の歴史を今に伝えます。前回紹介した十三街道に残る道標についてお話ししましょう。
『河内名所図会』に掲載された十三峠のつづら折りの急坂を下り、旧神立村を西に進んでいきます。そうすると、南にある神立共同墓地に向かう四つ辻に道標があります。安政2年(1855年)に建てられた道標で、「右大坂(道)」・「左信貴山松尾山/たつた、法りゆうし」と刻まれており、十三街道が法隆寺に至る道であったことが分かります。
十三街道は、西にそのまま進むのではなく、ここで北に折れて旧大竹村に至ります。まっすぐ西に下れば、平安時代後期の向山瓦窯(むかいやまがよう)があります。そして、旧大竹村の地蔵堂のそばにある道標には「左十三峠」とあります。建てられた年は刻まれていませんが、この道が街道としてにぎやかだった江戸時代のものでしょう。
この道標の斜め向かいに、「高安遊園地四千年前穴居跡徒歩近道」と刻まれた不思議な道標があります。大正3年(1914年)の大阪電気軌道(現在の近鉄)の奈良線開業のころに設置されたとみられる道標です。徒歩での来訪だけでなく、鉄道の最寄り駅から高安山麓を観光する新たな時代のはじまりの象徴です。同じ内容の道標が東高野街道に面する松の馬場の鳥居の横に残っています。
この道標の「高安遊園地」とは、玉祖(たまのおや)神社の近くにあった休憩所などを備えた梅林のことです。そして、「四千年前穴居跡」とは、神立にある愛宕塚古墳のことだったのです。(つづく)

問合せ:観光・文化財課
【電話】924・8555【FAX】924・3995

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