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八尾歴史物語 六十二巻

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大阪府八尾市

■河内名所図会を歩く(13) ~十三街道の道標3~

大正時代のはじめに立てられた「四千年前穴居跡(けっきょあと)」の道標が示した場所は、高安山麓の後期古墳を代表する愛宕塚(あたごづか)古墳でした。開口していた横穴式石室を、はるか昔の住居と思って、多くの人々が出入りしたのです。
一方で、愛宕塚古墳には、明治二十一年(1891年)に近代地理学の父と呼ばれる山崎直方が、大正三年(1914年)に京都帝国大学考古学研究室助手の梅原末治など新進の研究者たちが現地を訪れ、一般にも横穴式石室は埋葬施設との認識が浸透していきます。
多くの人々が関心を持った横穴式石室は、両袖式で全長十五・七mあります。人が葬られた玄室の長さは七m、幅は奥壁で二・五m、高さは四・二mもあります。奥壁と側壁はともに二段積みで一辺二m前後の巨大な石材が使われています。石室の特徴から六世紀後半ごろに造られたと考えられます。
玄室の床面積は、約二十平方メートルあり、高安山麓だけでなく、大阪府下最大級で、同じような広さの古墳は鉢塚古墳(池田市)だけです。大型の横穴式石室がある奈良県でも、蘇我馬子の墓といわれる約二十六平方メートルの石舞台古墳にはおよびませんが、約二十二平方メートルの牧野古墳や約二十平方メートルのウワナリ塚古墳など、有力な古墳の石室に匹敵します。愛宕塚古墳の北を通じる十三街道は江戸時代、大和への主要なルートでしたが、その前身の道が古墳時代にさかのぼる可能性があります。巨大な石室の構築には、道を介した大和との交流があったとも推測されています。

問合せ:観光・文化財課
【電話】924・8555【FAX】924・3995

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