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市史だより Vol.291

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大阪府和泉市

■だんじりのお金はどうするか?
小社之町公事家中文書(うぐすのちょうくじやちゅうもんじょ)
これまで公に知られていなかった小社之町公事家中文書。現在につながる町会の歴史、祭礼運営の様子、江戸時代の習俗など、府中地域の実態に迫ることのできる、貴重な文化財を紹介します。

二〇一八年に調査した「小社之町公事家中(うぐすのちょうくじやちゅう)」に収められた帳面綴(つづり)は、現在の府中町西町会の町運営に関する重要な記録です(市史だより244号参照)。
その後の調査により、この文書が、およそ320年前の元禄(げんろく)一五(一七〇二)年までさかのぼれることが分かってきました。このころの小社之町の「公事家中」は、35軒程度の家による仲間でした。「公事家」とは、特定の家持だけが属し、借屋人は加入できませんでした。町とは別組織ですが、町の運営を中核で担う集団でした。
公事家中は、、毎年末に、一年の収支を立ち会って勘定(かんじょう)しました。基本的な収入は、「初生養料(うぶやしないりょう)(小児誕生祝)」「水祝(みずいわい)(新郎への水浴びせ)」「蚊帳祝(かやいわい)(嫁入り祝)」などの祝儀でした。これらの祝儀は、仲間に受け容れてもらうための重要な祝儀でした。支出は、味噌・酒など会食にともなう費目、その年に用いた筆・紙・墨などに充てられました。また、町会計にも充当される場合もありました。
同じ帳面綴には、惣社講(そうじゃこう)(明神講)や獅子講に関する記録も含まれています。明神講は、府中の五つの町(東之町(ひがしのちょう)・市辺町(いちのべちょう)・馬場町(ばばのちょう)・小社町・南之町(みなみのちょう))ごとに存在し、五社惣社の運営を支えました。獅子講は、旧暦八月十五日祭礼(新暦九月二九日頃)の御輿行列に太鼓や鼻はな高たかや獅子舞を出しました。これに要する経費勘定を祭礼後に行い、20人程度の講員で賄(まかな)いました。
八月祭礼には、五つの町ごとに壇尻(だんじり)(地車)を出していました。帳面綴には、「地車棟打銀集帳(むねうちぎんあつめちょう)」、「地車小家(ごや)諸勘定覚帳」など、一九世紀に入ってからの勘定帳面が綴じられています。これらによれば、文政(ぶんせい)四(一八二一)年と嘉永(かえい)元(一八四八)年には地車を新調しています。必要経費は古い地車の売却代金、明神講・若衆中(わかしゅうちゅう)からの出銀、公事家18軒と「尻公事家(しりくじや)」28軒に割り付けた棟打銀などで賄っています。一八世紀初頭と比べると公事家の数は半減しています。そこで、小社町は借屋たちを「尻公事」として位置づけ、町全体の協力を得て地車の費用を捻出(ねんしゅつ)しました。
このように、「公事家中」文書を紐解(ひもと)き、小社町や府中町の歴史が少しずつ明らかになってきました。

問合せ:市史編さん室
【電話】44・9221

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