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市史だより

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大阪府和泉市

■いくつ知ってる?地元の歴史と文化財
『こがねちゃんと出かけよう!いずみ歴史さんぽ』を刊行しました

和泉市の歴史と文化財を、分かりやすく、しかも魅力的に紹介したい。そんな思いを込めて、この本をつくりました。

和泉市は、昭和31年(一九五六)に七つの町村が合併して発足し、その四年後の昭和35年に二つの町村と合併して、現在の市域ができました。
市域には、大きく分けて五つの地域があります。南部の横山地域、西部の松尾地域、東部の池田地域、北東部の信太地域、北西部の府中地域です。
横山地域には、和泉市で最も古い時代(約二万二〇〇〇年前)の大床(おおとこ)遺跡があります。平安時代には、著名な僧侶覚超(かくちょう)が輩出されました。槇尾山が西国霊場の一つとして繁栄したことは、施福寺参詣曼荼羅図(まんだらず)に描かれています。戦後には、みかんの産地として大いに発展しました。
松尾地域には、かつて岸和田市摩湯(まゆ)町との間にマイ山古墳があり、勾玉(まがたま)や鉄器などが見つかりました。松尾寺には、貴重な美術品のほか、多数の古文書が残されました。建長(けんちょう)四年(一二五二)の古文書には「唐国村(からくにむら)」の約束事が書かれています。明治時代から綿業(めんぎょう)で発展した久保惣の記憶は、和泉市久保惣記念美術館に残されています。
池田地域には、古墳時代の日本列島では最大の規模を誇った須恵器(すえき)の生産地の一部がありました。今の禅寂寺(ぜんじゃくじ)と明王院(みょうおういん)には、飛鳥時代のお寺がありました。江戸時代の伏屋氏や高橋氏が、大庄屋(おおじょうや)として活躍したことは、地名や建物から分かります。光明池の建設を写した昭和期の写真からは、人びとの労苦がしのばれます。
信太地域には、弥生時代(約二〇〇〇年前)の池上曽根遺跡のほか、惣ケ池(そうがいけ)遺跡や和泉黄金塚(こがねづか)古墳などの遺跡があります。熊野街道近くの聖(ひじり)神社には、信太山丘陵周辺の村むらとの交流がありました。信太山丘陵には明治時代に、陸軍の演習場が造られました。
府中地域には、奈良時代に成立した和泉国(いずみのくに)(大阪府南部)の県庁所在地ともいうべき国府(こくふ)が置かれたようです。
江戸時代の「府中村絵図」には、交差する街道に発展する町場(まちば)の様子が描かれています。昭和四年(一九二九)には大阪の天王寺駅から和泉府中駅まで電車が開通し、今に続く駅前の発展が始まりました。
ところで、和泉市では今も新しい住宅地が次つぎと造成されています。戦後に造成された住宅地の一つである鶴山台団地も、町びらきから五十年が経ちました。そこには、どのような生活があったのでしょうか。
『こがねちゃんと出かけよう!いずみ歴史さんぽ』(1、000円・税込)は、文化遺産活用課、いずみの国歴史館、信太の森ふるさと館、和泉市久保惣記念美術館、全国の書店のほか、(株)ぎょうせい、Amazon等のオンラインショップでお買い求めいただけます。本書を読みながら、和泉の地に生きた人びとの姿を探してみてください。

問合せ:文化遺産活用課
【電話】99-8163

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