■3 引接寺縁起(いんじょうじえんぎ)
引接寺(いんじょうじ)は南北朝時代に宿院の近くに建てられたお寺です。戦国時代には千利休の家の近所でもあったようですが、創建時の正確な場所は不明です。江戸時代には南樽屋二町目(現在の少林寺小学校敷地内・小学校北側に説明板有)に移りました。一遍(いっぺん)が開いた「時宗(じしゅう)」のうち四条派の有力なお寺でしたが、明治6(1873)年に廃寺になりました。
「引接寺縁起」は、長さが10m近くある巻物です。近年その存在が分かり、令和4年度に堺市博物館が収蔵しました。歴代の住職の功績などを文明4(1472)年にまとめ、その後、天正5(1577)年まで記録の追加があります。また、貞和3(1347)年の引接寺創建時に堺の商人が支援したことや、同寺の唱える開口神社や住吉大明神(住吉大社)とのゆかりなども伝えています。
引接寺は茶会記録である「天王寺屋会記(てんのうじやかいき)」にも登場し、連歌会の会場ともなった有名なお寺でしたが、廃寺で資料が散逸し詳細が不明でした。この史料の検討により、当時の人々と引接寺との関わりが分かってくると思われます。
※本資料は11月3日~12月17日の堺市博物館特別展で一部ご覧いただけます。
問合せ:学芸課
【電話】245-6201
【FAX】245-6263
<この記事についてアンケートにご協力ください。>