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堺市・美原町合併20周年 記念コラム 第4回(全5回)

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大阪府堺市美原区

■閉町記念誌「美原わが心のふるさと」より河内鋳物師(かわちいもじ)
鉄や銅などの金属を溶かして鋳型(いがた)に流し込み、鋤(すき)などの農耕具、鍋・釡などの生活道具から、梵鐘(ぼんしょう)・仏像にいたるまでの製品を鋳造(ちゅうぞう)した技術者が、鋳物師です。
平安時代末期から室町時代にかけて、大保を中心とする河内国丹南郡(かわちのくにたんなんぐん)は、鋳物師が集まり住んでいたところで、「大保千軒(だいほせんげん)」と呼ばれるほどの賑わいを見せ、河内鋳物師が造りだした多彩な作品によって、その高い技術が実証されています。
河内鋳物師は、鎌倉時代に再興された東大寺の大仏鋳造にも、中国人とともに参加し、さらに鎌倉の大仏や梵鐘なども手がけました。全国各地の梵鐘に、河内鋳物師の名を刻んだ銘文(めいぶん)が見られ、当時の彼らの活躍がうかがえます。
また、彼らが作る鍋は、当時「河内鍋」として知られ、高級品の地位を築いて、京の都でも珍重されていました。その技術力が全国に知られると、各地へ出かけていくことが多くなり、次第に河内国を離れて地方に土着し、鋳物技術を伝えたと言われています。鎌倉に幕府ができた時には、丹治姓(たんじせい)の鋳物師が移住をし、その一人、丹治久友(たんじひさとも)は、鎌倉大仏の名で知られる高徳院(こうとくいん)の大仏の鋳造に参加しました。また、港を中心とした海上輸送を行うために、堺へ移住し、堺の金属加工に大きな影響を与えた鋳物師たちもいました。

問合せ:美原区役所企画総務課
【電話】363-9311
【FAX】362-7532

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