■「住吉郡(すみよしぐん)」の歴史
住吉郡は、古代律令制度のもと、摂津国(せっつのくに)に置かれた郡の一つです。現在の住吉区の全域と住之江区・東住吉区・平野区・堺市の一部にあたる区域でした。また、概ね現在の大阪市域にあたる部分については、住吉郡のほかに東生郡(ひがしなりぐん)(後に東成郡)・西成郡がありました。
住吉郡は、その名が平城宮跡(へいじょうきょうせき)から出土した木簡などに見られることから、奈良時代の初め頃には既にあったと考えられています。古くは「住吉」と書いて、「すみのえ」と読んでいたようですが、平安時代の初め頃から、「すみよし」という読み方が定着しました。その後住吉郡は、時代による浮き沈みはあるものの、明治29年まで存続します。
一方、「大阪」の地名は、明応7(1498)年の蓮如上人(れんにょしょうにん)の手紙に「東成郡生玉之庄内大坂(ひがしなりぐんいくたまのしょうないおおさか)」とあるのが初見とされていますので、史料に初めて登場する年で比較すると、「住吉」は「大坂(大阪)」より700年以上も昔からある地名ということになります。
このはるか万葉の昔からの地名を受け継ぐのが、私たちの住吉区なのです。
執筆:NPO法人すみよし歴史案内人の会 森島 克一(もりしま かついち)
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