[城東区×SDGs]
11 住み続けられるまちづくりを
大阪市では、住居表示の実施に伴い、かつての町名・町域が統合整理されて消滅した旧町名を継承碑として保存しており、城東区には7つの旧町名の継承碑が8か所に設置されています。
今月号と来月号の2回に分けて、城東区にある「旧町名継承碑」をご紹介します。
●森町(もりまち)(森之宮1丁目5番街区先歩道)
現在の森之宮1丁目の全域と森之宮2丁目の一部となった地域です。町名は、玉造森町と難波の森に由来しています。
この町は、明治初頭、東成郡森村(ひがしなりぐんもりむら)・中浜村(なかはまむら)・中道村(なかみちむら)・大阪府所管地(後に杉山町(すぎやまちょう))の各一部で明治22年市制施行により杉山町が、大正14年に残りの地域が大阪市となった際に、この地域の一部が東成区森町(もりまち)となりました。昭和18年に城東区になり、この後も幾度の行政区画変更を経て、昭和48年に住居表示が実施され、現在に至ります。
●新喜島町(しきしまちょう)3~4丁目
(放出西1丁目9番街区阿遅速雄神社(あちはやをじんじゃ)行宮内)
現在の放出西1丁目・新喜多東(しぎたひがし)2丁目の各一部となった地域です。町名は、当町の一部が新喜多新田(しぎたしんでん)の一部にあたることと、楠根川(くすねがわ)・城東運河・寝屋川に囲まれた島状の地域であったことに由来します。
この町は、明治初頭、東成郡放出村・新喜多新田の各一部で、大正14年に大阪市に編入、昭和18年に城東区となります。幾度の行政区画変更を経て、昭和31年にこの地域の一部が新喜島町3~4丁目となり、昭和48年に住居表示が実施され、現在に至ります。
●左専道町(させんどうちょう)(諏訪2丁目13番街区先道路)
現在の諏訪1~2丁目・永田2丁目・東中浜6丁目の各一部となった地域です。
町名は、菅原道真(すがわらのみちざね)が太宰府(だざいふ)に左遷される道中、当町域の諏訪神社の境内の石に腰掛けた故事に由来します。
この町は、明治初頭、東成郡左専道村の一部で、大正14年に大阪市に編入された際に東成区左専道町の一部となりました。昭和18年に城東区に編入、昭和48年に住居表示が実施され、現在に至ります。
来月号では残りの4つの旧町名継承碑をご紹介します。
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