[城東区×SDGs]
11 住み続けられるまちづくりを
◆皆さんは、城東区内にあった淀川貨物線をご存じでしょうか。
昭和2(1927)年、大阪市水道の発祥地である桜ノ宮水源地の跡地に貨物専用の国鉄淀川駅が開業し、これにより放出・京橋~淀川間や吹田~淀川間に貨物線が開通しました。昭和9(1934)年の地図では、淀川貨物線や城東貨物線(現おおさか東線)の線路がデルタ状を形成している様子などが確認できます。
淀川貨物線は昭和57(1982)年に廃線となり、今では公園や遊歩道などに形を変えています(淀川駅の跡地は現在大阪市立総合医療センターやマンション等が建っていますね)。
今回はその廃線跡の今をご紹介します。
(1)蒲生二ふれあい公園(蒲生2丁目)
放出方面からの貨物線が寝屋川を越えた周辺の線路跡の一部は、蒲生二ふれあい公園となっています。線路跡を感じさせる形状の公園で、遊具のほか、公園内の遊歩道には木や花が植えられており、ゆったりとした時が流れています。
(2)遊歩道(蒲生1丁目)
国道1号を横切る箇所では、淀川貨物線は大阪市電と平面交差し、その先で京阪本線と立体交差していました。この周辺は遊歩道に生まれ変わっており、緑が多く貴重な憩いの場となっています。
(3)せせらぎ施設広場(桜小橋交差点付近)
放出方面と吹田方面からの貨物線が合流し、淀川駅に通じていた付近はせせらぎ施設広場となっています。門をイメージしたウォーターカーテンサークルから降り注ぐ水が、かつて区内を流れていた榎並川をモチーフに造られたせせらぎに流れる様子は、日常の慌ただしさを少し和らげてくれるように感じます。
かつて地域の物流と産業を支えていた貨物線。公園などに形を変えた今も、その存在感を残していますね。
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