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今月のトピックス

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大阪府大阪市大正区 クリエイティブ・コモンズ

●オリックス・バファローズ阿部翔太選手×古川大正区長 特別対談
▽大正区の子どもたちの未来のために
昨年11月、大正区の子どもたちの未来やスポーツ振興のために とご寄付をくださった阿部翔太選手。寄付に対する大阪市の感謝状贈呈式に出席された阿部選手と、古川吉隆大正区長の特別対談をお届けします。

(古川大正区長(以下・古川))
このたびは、多額のご寄付をありがとうございます。阿部選手が寄付をしようと思われたきっかけをお伺いできますか?
(阿部選手(以下・阿部))
子どもの頃から野球をやっていて、近鉄ファンだったので京セラドームにもよく行っていました。当時の僕は 野球選手ってすごいな と思っていたので、今の子どもたちにも、そう思ってくれる子が増えたらうれしいなと思ったのが理由のひとつです。それと、今は野球に限らず、スポーツをする子が減っているのが気になっていて。
(古川)そうなんです、人数が減って、チームが作れなくなっているところもあります。
(阿部)僕らの頃は、各小学校にあったんですけどね。そういう話をお聞きすると、寄付を役立てていただいて、少しでもスポーツに触れる子が増えてくれたらと思います。
(古川)子どもたちに、スポーツに触れる経験をしてほしいと。
(阿部)みんなと一緒に何かをする経験は、とても大切だと思います。僕自身も小学生から野球をやってきて、学んだことがたくさんありました。学校の授業だけでは学べないものが、
スポーツにはあると思うので。どれくらい役に立てるかわからないですが、少しでもという思いです。
(古川)ありがとうございます、しっかり子ども達のために使わせていただきます。阿部選手は中泉尾小学校のご出身ですが、当時はどんなお子さんでした?やんちゃなほうでしたか?
(阿部)どちらかと言えば(笑)。大正東中学校でも、いちばん怖い先生が3年間担任でした。
(古川)それはきっと、小学校での評判を先生方がお聞きになったんでしょうね(笑)。
大正区で過ごした小中時代の思い出の場所はありますか?
(阿部)やっぱり中泉尾グラウンドですね。中学時代も大正シニアで練習をしていました。あのグラウンドでずっと野球をしていた思い出があります。
(古川)それはぜひ、中泉尾グラウンドを 阿部翔太発祥の地 としてアピールしたいですね。
(阿部)いやいや(笑)。
(古川)阿部選手は大正区の未来について、どうなったらいいと思われますか?
(阿部)今の子どもたちが 大正区で育って良かった と思えるような、そんなまちにしてもらえたら嬉しいです。大正区の将来を担っていくのは子どもたちなので。
(古川)ご自身は、大正区で育って良かったと思っておられますか?
(阿部)僕は良かったと思っています。大正区はすごく人情味がありますし、僕のまわりの同級生たちもみんなやっぱり大正が好きですね。
(古川)大正の良さをしっかり伝えていかないといけませんね。2月からスタートした大正区の公式インスタグラムでも、魅力をもっと発信していきます。では最後に、大正区民の皆さんにメッセージをお願いします。
(阿部)こうして地元のすぐ近くでプロとして野球ができていることをうれしく思いますし、もっともっと応援してもらえるよに、これからも頑張ります。そして、僕が少しでも力になれることがあれば、積極的に協力していきたいと思っていますので、また何でも声を掛けていただけたらうれしいです。

▽プロフィール
阿部翔太(あべしょうた)
1992年11月3日生まれ、大正区出身。中泉尾小学校、大正東中学校に通い、酒田南高校、成美大学(現 福知山公立大学)に進学。日本生命の社会人野球チームで6年間活躍し、2020年10月にオリックス・バファローズからドラフト6位指名を受けて入団(2021年-)。
2024年シーズンからは背番号20をつけ、リーグ4連覇を目指す。

掲載しきれなかった対談の様子は、大正区ホームページに掲載しています

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