●令和6年 能登半島地震
石川県輪島市での活動報告と私たちにできること
本年1月1にちに発生した能登半島地震災害を受けて、大阪市では様々な支援を行ってきました。石川県輪島市での避難所運営支援においては、大正区役所等から延べ326名が派遣され業務に従事しました。今回、大正区役所職員が参加した、5月29にち~31にちまでの第36次派遣隊での活動等について報告させていただきます。
▽避難所の始まりから現在
輪島市の大屋地区の小学校では、地震発生日に600名を超える避難者の方々が訪れ、5月末の現在でも30名余りの方が暮らしています。被災直後は様々な物資や資源が不足し、避難所開設の当初から従事されている運営ボランティアのみなさんから大変苦労されたと伺いました。
特に屋外トイレの管理や感染症防止など衛生面の対策が大変重要だと教わりました。
避難所の設備は、循環式から給湯式のシャワーに切り替わるなど少しずつ整ってきていますが、周辺道路の損傷は手つかずの状態となっており、まだまだ災害の傷跡がみて取れます。
▽被災した地域を目の当たりにして
避難所の本部長の方に特に被害が大きな地域の案内をしていただきました。震災から丸5か月が経った今も多くの被災地が手つかずのまま残っています。その一部をご紹介します。
・西保海岸(西保海岸・輪島港・朝市通り)
災害時に道路が通れなくなり孤立した地区のひとつである西保海岸では、いまだ手付かずの道路上の土砂と、広範囲にわたり海面が隆起している様子が分かります。
・稲屋町 長井町(大屋小学校・稲屋町・長井町)
傾斜部に位置するこの町は平成19年の震災でも被害を受けました。その際に耐震化した部分は被害を免れた建物もありますが、ほとんどの建物は甚大な被害を受けました。解体時期も来年の秋以降の見込みになるとのことです。
・輪島港・朝市通り
海面の隆起により船舶が動けず、漁業に従事する方々に大きな打撃を与えました。また、観光名所である「朝市通り」も地震による火災で被害を受け、経済的に大きな損失が生じています。
〇派遣を振り返って
大阪市による避難所での活動は5月31にちで終了となるため、私たちが最後の派遣隊として従事することとなりました。以降は自主運営の避難所になるとのことでしたので、私たちが到着した頃には、皆さんで安定して運営しておられました。私自身は本当にささやかなお手伝いしかできなく、申し訳ない気持ちを抱かざるを得ませんでしたが 個人としては短い期間で微力でも、被災直後から5か月間、継続的に来てくれたことに感謝しています といったお言葉をいただき、救われた気がしました。
被災した地域を案内していただく中で 忘れ去られていくことが一番辛い という言葉をお聞きしました。実際に被害を目の当たりにすることで、自身の無力さを強く感じることもありましたが、今回の経験を活かし、自身に何ができるかを常に考えながら、震災のことを忘れないように日々の業務に取り組みたいと考えています。皆さまも、日常の中で少しでも被災地のことを気にかけて何かできることを見つけていただくことと、いつ起こるかわからない災害に対する備えの意識を高めていただけたらと思います。
問合せ:庶務5階50番
【電話】06-4394-9625
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